2017.08.07 Glory 20

 僕の塾のバイトが春期講習となり、忙しく過ごしていたらあっという間に四月も中旬になってしまった。地元のライブハウスでの演奏も間近になってきた。今回はリョウさんとのいつものデュオに加えて、ゲストとして箏奏者のつのだみかさんに出てもらうことになった。彼女ともなんだかんだで二十年近い付き合いになる。今や日本を代表する箏奏者の一人であるが、長年の付き合いで僕らのライブにも出演を快諾してもらった。僕とリョウさんでやっていた曲のいくつかをリョウさんがアレンジし直して加わってもらうのだが、どんな出来具合になるか今から楽しみである。楽しみといえば、一番楽しみにしているのは、やはり里香だ。大きな成果を得たアジアツアー以来、人前に出るのは初めてだし、里香にとっては自分が倒れてから初めての僕の舞台だ。彼女の方が僕よりテンションが上がっているようで、海外にいるお兄ちゃんに電話で散々この話をすごい入れ込みようでしていた。そして、それなら、ということでなんとアデラと二人で東京に観に来ることになってしまった。ありがたいやら、申し訳ないやらであるが、自分としては、アジアツアーで得たものをぶつけるいい機会であるし、家族にいいとこみせたい気持ちもあった。そして今回は何か予感のようなものがあった。

 

 リハーサルは順調に進み、集客も今回はみなさんの反応がよく、お店のキャパにすぐに近づいた。あれこれ紆余曲折があったのは里香の移動に関してだ。かなり歩けるようにはなっているものの、やはり保険で車いすを使うべきだが、隣町のお店まで、一駅ながら電車に乗るとなると階段を3階まで上がらなければならない。それならタクシーで、というと車いすをタクシーのトランクに積めるのかどうかが分からないとか、お金がもったいないとか言う。挙げ句、僕が車を運転できないことをなじられたり、バイクなんぞに乗ってるより、家族のために男なら車くらい持てよ、とかこっちを攻撃して来るので、逆らわずに「はいはい」と言いつつ、海老のように頭を低く後ろ向きにさっと下がって一定の距離を置いた。何日かこの件でああだこうだとあったが、結局お兄ちゃんが電話で、

「普通のセダンのタクシーなら車いすは積めるよ。タクシー代くらいお兄ちゃんが払うよ。どうせアデラも乗るんだし」

と言ってくれたお蔭で、すべて丸く収まった。


 いよいよ本番当日、リハーサルの為に早くお店に入った僕を除いて、家族4人が夕方お店にやってきた。事前に用意してもらった車いす用の席二つをはさんで4人が正面後ろのいい場所に陣取った。西ちゃんのお店の常連の仲間達やいつも来てくださるファンの方であっという間に満席となった。最後の方にやってきたケイスケとミサの夫婦が里香の方へ駆け寄って再会をよろこびあった。ミサは一言、

「里香さん・・・・」

と言っただけで泣き出してしまった。その彼女の頭を大きな手でなでて

「ありがとう」

と言った里香の横顔が美しかった。

 本番前の楽屋で、曲順やくり返しの確認をしたら、リョウさんとみかさんの二人が、僕のことを

「変わったよね~」

「変わった、変わった」

と言った。何がそんなに変わったのか、前が随分と頼りなかったから、それが少しはましになった、ということかと思ったが、そんな自覚はまるでない。

「何がやねん」

というとリョウさんが

「変わったし、多分純ちゃんは自分でわかっとらんやろうけど、前より強くなった」

と言った。そうかなあ?まあ、そうならいいことだが。

 そして、ライブが始まった。予感はあったが、絶好調である。二人の息もピッタリだし、自分でも不思議なくらい尺八が鳴る。心の中に湧き上がって来るパッションがそのまま音になった。逆に鳴らし過ぎないように、フォルテばっかりの単調な演奏にならないように、弱音を大切に!そう考えながら吹いていた。鳴らすときには思い切り鳴らせた。ゲストのみかさんが入って、さらに音の伸びが出た気がする。そして途中で失速することなく、尺八で歌いまくったまんま最後の曲までできた。拍手も大きかった。やはり生で聴いていただくのが一番いい。お客様にも今日のノリが十分伝わっているのが、拍手の熱さと表情でわかる。やったぞ!という手応えを感じながら、最後のMCをした。

「今日は本当にありがとうございました!二月のアジアツアーで掴んできたものをリョウさんと二人で出し合おうって話していました。みなさんの前でそれが出せたんじゃないかと思います。ありがとうございました。ええ、そして、個人的なことなんですが・・・妻の里香が病気で倒れて入院していたんですが、長くかかってみなさんにもご心配をおかけしましたが、お蔭さまで、なんとか、帰ってきてくれました」

場内に一層の拍手が広がった中、正面奥の席に居る里香が長い両腕を上いっぱいに拡げて満面の笑みで答えた。ちょっと大袈裟なようだが、その表情は太陽のように輝いて見えた。そして大きな拍手の中、アンコールの曲に突入した。


 お店で簡単な打ち上げをすませて早めに帰らせてもらった。いいライブができたので、いつもならみんなで夜更けまで飲むところだが、今回は早くうちに帰って里香とおかあさんに会いたかった。お兄ちゃんとアデラは近隣のホテルをとってあり、そちらに泊まるそうだ。電車には乗らず、なんとなくうちまで歩いて帰りたかった。楽器や機材を入れた旅行カバンをゴロゴロ引きながら、一人、夜道を歩いた。今日、いい演奏ができたのは誰のお蔭なんだろうか?共演者には間違いなく恵まれた。ツアーの好影響か、お客さんの応援か、家族の力か。みんな全部かなあ。そして見上げた夜空に長い腕を拡げていた里香の姿が思い浮かんだ。一番はおまえか。そうだよな。ありがとうな。隣町のライブハウスからうちまで、主要道路をはずれて住宅街の道をジグザグに進んだ。しばらく歩くと偶然、去年の十二月に「クリスマスまでに帰ってこい」と思いながら、九ちゃんの歌をうたって歩いた通りにきた。あのときは涙でうたった歌をもう一度うたってみた。クリスマスどころか、3月になっちゃったよ。でも・・・でも帰ってきてくれた。ちゃんと帰ってきてくれた。少しずつだけど元気になって、今日はライブに来てくれた。ああ、神様。感謝します。なんだかジ~ンと来たが、涙はない。今夜は笑顔だ。泣いたり、笑ったり、いろんな顔で見上げる僕らを星達はどんな風に思っているんだろうか。ゴロゴロカバンを引っぱる音が近所迷惑じゃないかと気になりだした頃、うちの近くまでたどり着いた。カバンを持ち上げて少し早足でうちまで急いで、ドアを開けたら里香が部屋から出てきた。おかあさんはもうおやすみのようだった。

「おかえりなさい。じゅん、きょうよかったよ。すごくよかったよ」

「ただいま。ありがとうな」

きっと膝の上にいたのだろうナオも足下にすりすりしてきてお出迎えだ。荷物を置いてナオを抱き上げて里香の手を引いてリビングに入ったら、なんだか急に自分が大人になったような気がした。え? 今、俺、おとうさん? ほんまかいな。万年小学生の俺が?仕事がうまくいって、心地よい疲労感の中、家族に迎えられる大人の男の気分をほんのひととき味わったような。そんな気分を感じながら、ソファに寝そべったら、里香がくっついてきた。その僕のお腹の上にナオがポンと飛び乗ってきた。




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2017.07.06 Glory 19
 教習所通いがすすむにつれて、はじめはビビッていたナナハンにも少しずつ慣れてきた。そうなるとだんだんに周りの人のことも見えてくるもので、教習を受ける人にも、上手い人、下手な人いろいろいる。それは当然なのだが、僕の目を引いたのは教える側の人達だ。教官の中には元交通機動隊のライダーだった人もいて、彼らの運転技術といったら、もう、あっけにとられる程上手い。教習がお休みのお昼の時間にある教官が練習しているのを見たのだが、V型エンジンのVF750(僕は乗りにくいと感じた)でフルロック8の字ターンとかを平然とこなす腕前に目が釘付けになってしまった。それにひきかえ、僕はといえば、実は普段から平衡感覚に自信がなく、超低速で行われる教習に不安いっぱいであった。しかし、ある教官にそのことを言ったら
「ええ?いやいや、小林さんはバランスいいですよ。安定感あります」
と言われた。実に意外な反応だったが、そういえば、ある教習生の人から
「いつも小林さんを見て参考にさせていただいてます」
とビックリするようなことを言われたことがあった。彼が言うには、コーナーに入るとき、いつもバランスをくずしてしまうのを僕の動作を見て「ああ、こうするのか」と思ってその通りにやったら、うまく出来るようになったのだそうだ。少なからず驚いたが、そういえば、シートに座るよりステップに立った方が重心が下がるとか、フロントのサスペンションを沈ませずに減速するのにリアブレーキを踏むとか、半クラッチでコーナーを曲がるとき内側に傾き過ぎたらアクセルを開けて車体を起こすとか、そういう基礎の基礎は学生時代に軽量のオフロードバイクでダートを散々走って、何回も倒けながら体が覚えてきたのだった。自分は意識なしにやっていたことが、端から見れば、ちょっとした豆知識みたいになっているのかもしれない。20年を経て、そういう体にしみ込んだ基礎が生きてきたのだとすれば、それはとてもうれしいことであった。自分の感覚と人の評価が違うのはよくあることだが、大抵は自分がいいと思っても客観的にはダメ、という方が多い。今回は逆のケースで、ちょっと誰かに自慢したくなったが、誰に話せる訳でもない。そこでうちに帰ってから、里香に自慢してみた。すると里香らしい意外な言葉がかえってきた。
「あなたは、いつもすごくぶきようか、すごくきようかのどっちかね。ふつうってかんじのことがないわよ」
「そうかな。じゃあ、僕はどっちイメージの方なんかな?全体として」
「ん〜〜? てさきはぶきよう。からだはきよう?」
「なんじゃそれは!」
しかし言われてみれば、そうなのかもしれない。僕の父は、大変手先が器用な人で、さらに運動神経もよかった。弟は父とよく似た手をしており、器用さも受け継いでいたが、僕は父と全然違う手で、しかもすごく無器用だ。子供の頃、兄弟で父から釣りを仕込まれたが、弟はどんな糸の結び方もすぐ覚え、器用に結んでさっさと釣っていたが、僕はそれができない。いつまでもモタモタしている僕に父はイライラして
「トロトロトロトロなにしとんのや!人間ちゅうもんはそこまで無器用なもんか?」
とけなし、挙げ句には
「どこまで鈍くさいんや、お前は!お前はほんまにわしの子か?」
とまで言った。この台詞は他にもいろんな場面でよく言われたが、そんなことを言われても実の子供としてはいかんともしがたい。悲しい思いを強いられたが、実は今も糸を結ぶスピードはその頃と変わっていない。大人になって、釣りも父に教わった餌釣りからフライフィッシングに変わり、結び方の種類も多様になり、なのに無器用さはそのままで、今でも川の流れの中に立ち込みながら、リーダーやティペットを結ぶのに悪戦苦闘をくり返しつつ、父の台詞を思い出してはため息をつくのであった。これに対して運動神経の方はと言えば、父や弟ほどではないが、まあ、普通より少しはいいのかもしれない。やってきたスポーツはトップの層ではないが、中の上よりはできたつもりだ。みんながややこしくて困惑するようなある種の動作をいきなりできたりもする。かといって、スポーツで活躍して注目を集めるほどでは全くない。おしなべて、まあまあ、と言ったところか。手先は親に見放されるほど無器用で、運動全体は悪くない。まとめてみれば、こんな感じで、里香の言っていることは的を得ていると思う。僕はいろいろな面で、長年やっているのに全く進歩しないことと、経験通りに進歩していくものがはっきり分かれているように思う。例えば、仕事上、算数や数学の計算は普通の人よりも遥かにたくさん、しかも長年に渡ってやってきているが、ひき算のくり下がりがいつまで経っても苦手で遅い。他の計算や式変形は経験なりに速くなってるが、そこだけがいつまでたっても小2か小3の頃のままなのだ。だからくり下がりをしなくてもいいように頭の中で別の変形をしたりして対処している。そんなことしなくても普通に計算した方が速いように思うだろうが、それが僕の場合そうではない。ついでに言っておくと、運動や器用さではなく、全体として僕はどんな子だったのか、というと、優等生でもなく、不良でもない。かといって普通の子でもなかったと思う。ではどんな子なのかと聞かれても、自分ではうまく説明できない。きっと「ちょっと変わった子」であり、それがそのまま大人になってしまった、というところだろう。自分がどんな人間なのか、という自覚が実は僕にはよくわからない事のひとつであったが、里香と付き合って、彼女にいろいろ聞いて、だんだん、なんとなくこうかな?というイメージが掴めてきたのだった。僕は思春期の頃から二十代の後半まで、女性との交流が全くなかったので、自分がどんな奴なのかをわからないまま生きていた。男同士で「俺はどんな人間か?」なんて質問してたら変だし、やはり、恋人や配偶者から学ぶことは大きい。そういう意味でも里香には感謝している。

 今年は、随分暖かく、季節の進行が早いのか、あっという間に桜のつぼみがほころびだした。このペースだと満開になるのは3月中で4月の声を待たずに散ってしまうかもしれない。花見の計画も少し前倒しにしないと歩けるようになることを待っていたら肝心の桜が終わってしまう可能性も出てきた。そこでおかあさんと三人で相談して、車いすを使って花見にいこうという事になった。本人はそれでも歩けるところは自分で歩く、と主張したので、その意思は尊重しつつ、無理のないように、判断は僕に任せるように約束させた。うちの近所には有名なお花見ポイントがいくつかあって、都会の川の両岸に並んだ桜並木が川面にかかって花のトンネルのようになるところや、大きな公園の広い芝生に地面すれすれまで枝が広がってさながら桜の雲海の中にいるみたいな気分を味わえるところもある。あまり遠出はできないことを考えて、三人で選んだのは近所の大学のキャンパス内の広場だった。ここも人気のある花見スポットで、里香は子供の頃から毎春ここにくることを楽しみにしていた。花の開き具合と空模様を予想して、一週間後の平日にいくことにした。土日はやたら混むし、人がたくさんいる状況が苦手な僕の勝手な都合でそう決めたのだったが、こういうことの計画中というのは、何かと楽しいもんだ。里香もうれしそうだった。リハビリにも張り合いが出たようで、この一週間は確かに進歩が速かった。不完全ながら僕の予想よりもうまく歩けるようになっていた。そして、いよいよ明日、というときにおかあさんの都合が悪くなってしまった。残念がって日取りを延ばそうという僕らにおかあさんは
「いいわよ、そこまでしなくて。気持ちはうれしいけど、そんな大袈裟な話じゃないし、近所なんだからまたいつでも一緒に行けるじゃない。二人で行ってらっしゃい」
とおっしゃった。まあ、そうだな。電車にも乗らず、歩いて行くんだし、咲いているうちにまた一緒にいけるだろう。
 翌朝、起きて一階に降りたら、もうおかあさんは用事で出かけるところだった。
「あ、ごめんなさい。もっと早く起きればよかった」
「いいわよ。いつも通り寝てれば。おむすびと卵焼き作ってあるから、お花見いって二人でお食べなさい」
「わ。ありがとうございます!よろこんでいただきます」
「じゃ、いってきますね。里香をよろしくね」
「はい。いってらっしゃい」
申し訳ない気持ちだったが、お弁当を作ってくださったことはすごくうれしかった。ごく近所なので、ちょちょいと出かけて適当に時間を過ごしたら帰ってくるつもりだったのが、二人でお弁当を食べる、というイベントが加わって、なんだか充実感が湧いてきた。2階のベッドでまだグ〜グ〜寝ている里香を起こしに行って、おかあさんのお弁当の話をしたら、いきなり起き上がって
「うぉっしゃあ〜〜!!」
と両拳でガッツポーズをとりながら大声で吠えた。相変わらず反応が派手過ぎるが、気持ちはよくわかる。単なるお昼ご飯ではなく、おかあさんのお弁当というのは小学生の頃の遠足のお弁当と同じなのだ。そこにはえも言われぬワクワク感がある。お昼より少し前にうちを出て、車いすを押しながら目的地に向かった。おむすびと卵焼きは里香の膝の上で、僕はお茶を入れた水筒とカメラを肩からクロスがけにしていた。住宅街の平坦な道を抜け、大学の正門に向かう長い坂道を登りながら、いつしか二人で歌っていた。それもテレビの時代劇「遠山の金さん」のテーマ曲や加山雄三など、思いっきり昭和の歌ばかり。二人ともテンションが上がっていたようだ。春休み中の大学内は人通りも少なく、桜の咲き具合も全部の木ではないがほぼいい感じで満開だった。
「おお〜〜、やった〜〜!きれい、きれい!」
「ちょうどいい感じやん。よかった、よかった」
まばらながら、若い主婦と思しき女性が小さな子供連れで何組か来ていたが、空いているベンチはいくつもあった。早速、その一つに陣取って、一番の楽しみのお弁当をいただくことにした。外で食べるおかあさんのお弁当。本当に美味しくて、二人ともパクパク食べてしまった。久しぶりの青空の下の昼食が終わったら、里香が桜の写真を撮りたいというので、車いすを置いて、手を引いてゆっくり歩いてまわった。実は里香は写真もなかなか上手で、この一眼レフも里香のものだ。写真に限らず美的センスの無い僕は、彼女がいうままに家来のように先導していった。花の接写や引いた風景写真など何枚も撮った後、自分達の写真も撮ろうということになり、桜をバックにお互いの写真を撮った。たまたま通りかかった中年の男性にお願いして、ツーショットも撮った。いろいろ桜を観て回り、大いに季節を楽しんだ。しばらく立って歩いたのでそろそろ疲れが出始めた里香を車いすにもどして、ぼちぼち帰ることにしたが、なんだか名残惜しいので、大学の構内を抜けて、反対側の出口から出て少し遠回りをすることにした。
「やっぱりさくらはいいねえ」
「山は富士。花は桜木」
「おんなはわたし」「男は俺」
そんなことを言いながらゆっくりと車いすを押して歩き、多分、構内の最後であろう何本かの桜に差しかかったとき、ふいに突風が吹いた。
「ひゃ〜〜〜〜」
と驚く里香の声と一緒に、桜の花びらが一斉に上に舞い上がった。そして4階まである校舎の外壁に沿って吹き上がった花びらがものすごい量で僕らの上に降り注いできた。まさに桜吹雪だ。
「わ〜〜、すごい〜〜!」
「こりゃ、歌舞伎か、寿歌(ほぎうた、北村想のお芝居)か!」
ささやかなイベントの最後に思いがけないこの花びらの舞。神様も粋な計らいをしてくれるもんだなあ。
 舞い降りる桜の花びらを見上げながら、僕らはここにいること、生きて二人でここに帰って来れた幸せをかみしめ、心から感謝した。


2017.05.30 Glory 18
 退院の日から一夜明けて、我が家に女王陛下のいる日常が帰ってきた。主のいない100日あまりの間、僕らは彼女のものにはほとんど手をつけずにそのままにしておいたので、改めて本人の気に入るように変更することはないはずだった。にもかかわらず、なんやかやと注文の多い人である。いちいち面倒くさいな、と思いつつもその言い分を聞いていると「う~ん。なるほど、そうかあ」と思ってしまうところがある。口八丁の腕は健在のようだった。退院したといっても、体力的に回復してきただけで、検査や治療は続ける必要があるので、数日後には病院へ連れていった。連れていったというよりは、通院のお供をした、という感じだ。初通院の日は、退院直前に撮ったX線写真を受け取って主治医の美人先生に見てもらう手はずになっていた。放射線科で写真を受け取り、婦人科に向かう途中、僕がトイレに行きたくなって、車いすから離れるシーンがあった。ここで一抹の不安が僕の脳裏をよぎった。写真の入った封筒を先生に渡す前に勝手に開けてはいけません、と言われていたのだが、里香は絶対に興味を示すだろう。なにしろ筋金入りの「白い巨塔」オタクなのだ。ちなみに僕はトイレでは(小用であるが)片手で動作をとるのが苦手で、両手を使いたい。高校のとき、社会の先生が、トイレで用を足している僕のとなりにきて並んで事を始めたのだが、ハンカチを口にくわえ、片手にテキスト類と僕らに返却するテストの答案用紙を持ち、片手で器用にチャックを開けて一連の動作をして、片手で手を洗い、くわえたハンカチで手を拭いてさっさと出て行った。トイレに僕らの答案用紙を持ち込んだ事には、若干の苛立ちを覚えたが、ギリギリ、それを触った手では触らなかった、つまり、先生のご子息と間接的に握手をする羽目にはならなかったことに胸を撫で下ろしたのであった。そのいかにも熟練した所作に「やっぱり大人はすごいなあ」と思ったものだった。そしてこれを見た後日、僕も片手使いに挑戦してみたのだが、思うような方向に飛ばなかったり、挙げ句の果てにはチャックに生涯の親友を挟んでしまうという悲劇にあって、すっかり意気消沈してしまった。やはり、無器用な人間は、ていねいさ、慎重さということで補っていくしかないのだ。大人になってもこの基本は守っている。そんな訳で、両手を使いたい僕はX線写真の封筒を里香に預けたのだが、念のために
「さっき言われた通り、封筒を開けちゃだめだぞ」
と確認してからトイレに向かった。にも関わらず、戻ってきたら、やはり里香は禁を破っていた。封筒から写真を取り出し、これを明るい斜め上方に向かってかざしつつ、眉間にしわを寄せながら睨んでいる。これは田宮二郎演ずるところの財前教授お得意のポーズで、ワイシャツの袖のド派手なエメラルドのカフスボタンを見せつけるようにして写真をかざし、眼光鋭く、
「ン? この影は・・・!」
とか言うのである。車いすでこの財前教授ごっこに興じている里香をたしなめて、
「こら!開けたらアカンってゆうたやんか」
というと
「え?そうだっけ?」
ととぼける。確信犯なのか、本当にわかっていなかったのか微妙だ。周囲の目もある院内なので、それ以上文句を言わなかったが、車いすを押しながら
「財前教授のカフスボタンて、ルビーやったよな?」
というと即座に
「エメラルドよ!」
と答える。はあ〜ん。やっぱりわかっててやったな。確証ではないが、その言い方で感じる。やりやがった。

 婦人科で美人先生に会ったら、個人的なお話ながら、結婚をされるそうで、お相手のやはりお医者さんが海外の大学での研究が決まり、一緒についていくため、病院を退職されるという。その後の担当になる先生との引き継ぎをこの一週間あたりでやるとのことだった。せっかく美人の先生に当ったのにちょっと残念だが、おめでたい話だ。
「せんせいのおあいてのかたって、やっぱりイケメン?」
と里香が聞くと
「全然、そんなんじゃないですよ。至って普通の男です」
「じゃあ、うちとおんなじだ」
「なんでやねん!」
「いいじゃない。ふつうっていったんだから。ちょっとかくあげよ」
「ふふふ。相変わらず面白いし、仲がいいですね」
そんな会話の中にも幸福感は漂っていたし、先生の表情が落ち着いて見えた。春らしい明るい日差しが余計にそう感じさせたのかもしれない。その日の午後はリハビリセンターにいって、歩行練習とストレッチ、軽いマッサージをやってもらって帰ってきた。三月に入って何日も経っているので、散歩がてら、車いすで近所を少し回ってみた。人家の庭先に桃の花が咲いている。それを見て
「♪ さく〜ら〜は〜、まだかいな〜 ♪」
と端唄も上手な里香が歌い出した。そうだ。桜を観に行こう。といってもまだ先の話しだが、何か短期の目標が欲しかったので、外に出て、軽い運動もできて、楽しいイベントとしてちょうどいいんじゃないか。
「そうや、桜が咲いたら、お花見にいこう。きっともうすぐだぜ。今年は暖かそうやから早めに咲くんとちゃうかな。ずっと家に居るより、少しでも外に出た方がリハビリにもいいやろ」
「やった〜〜!いこう、いこう!」
「それまで、がんばってリハビリやぞ」
「うん。だいじょうぶ。あるけるようになる!」
春というのは、本当に素敵な季節だ。ここから、何かいいことがありそうな気分にさせてくれる。退院と春の訪れが重なったのも何か象徴的だ。
 うちに帰ったら、至から、うちの近くのライブハウスを探して4月に久々のライブをやりませんか?という電話がかかってきた。こいつぁ、春からなんとやら。一も二もなく承諾し、お店の選定と交渉を彼に任せた。リョウさんとも2月の海外公演以来のライブだ。病院通いばかりだった自分の生活形態も変えていかなくちゃいけないし、音楽的なリハビリも必要だった。長年、一緒にやってきたリョウさんとのライブなら、ちょうどいい感じじゃないか。うちの近所で、というのも至とリョウさんが、里香を連れ出しやすいように配慮してくれてのことだった。実は以前から里香の退院を待って、もちかけようと計画していたらしい。仲間というのはありがたいものだ。桜が咲くまでお花見を目指してリハビリ、そしてその後は僕のライブを観る。春の目標が決まったところで、忘れかけていたもう一つの目標を思い出した。大型バイクの免許を取りにいく話だ。これは僕が何かに前向きになれるっていうことで、里香から了解を得ていたのだが、実際には里香とあまり関係がなく、僕ひとりの好みによるものだ。何か里香との関連を持たせたいと思って、「タンデムで富士山を見に連れていく」ということを言ったのだが、これは歩けるようになるよりもずっと先の目標だった。しかし、何事もタイミングというものがある。いろいろ動き出した今、始めるのが上策といえそうだ。里香には一応、ひとこと言って、早速明日、教習所に申し込みにいくことにした。

 大学時代に乗ってはいたが、もう何年もバイクから離れている。申し込みの翌日から始めた教習の第一日目、大型バイクにまず慣れましょう、という回で、初めて触れたHONDAのCB750の大きさと重さに圧倒されてしまった。本当に僕はこれを乗りこなせるのか、かなり不安に感じた。CB750と言えば、僕らの世代ならみんな知っている「ワイルド7」の主人公、飛葉ちゃんが乗っていた(マンガでは特別チューンナップした飛葉専用車)愛車で、憧れのバイクなのだが、それが今でも名車として現役で君臨しているのだ。ちょっと恐れ多いような威厳すら感じる。指導官に促されて、跨がってエンジンを始動し、クラッチを恐る恐るつないだときは、そっと走り出した教習車に向かって
「すみません!ごめんなさい!」
とつぶやいてしまった。なにがすまないのかわからないが、自分はこんな大それたことを望んでいたのか、という反省みたいな心持ちになっていたようだ。
しかし、うちに帰ると、里香が僕のバイク雑誌を読んでいて、グラビアに赤ペンで丸をしてあるw650を眺めていた。
「これでしょ。じゅんのかうやつ。かっこいいねえ」
といってくれた。
「おお、かっこよさがわかってくれるか!」
「デザインのよしあしはわかるわよ」
そこで、どんなバイクをかっこいいと思うのかをその雑誌を使って聞いてみた。すると近頃流の、いかにもSF風というかアニメチックなデザイン、つまりガンプラ(バンダイのガンダム・プラモデル)っぽいやつはダメなようで、アメリカンにしてもヨーロピアンにしても、ちょっとビンテージ風のシンプルなものを指してはかっこいいという。70年代のDUCATTIだったり、YAMAHAのSRだったり、そして我がw650だったりだ。一つ違いの同世代だからかもしれないが、女子でこのしぶさは流石である。考えてみれば、里香の好みは昔から何でも今風ではなく、古きよきものばかりであった。古典音楽しかり、ケルトの文化しかり、普段のファッションしかりである。いい子だ。それでこそ僕の奥さん。お蔭で萎みかけていたやる気と勇気が湧いてきた。




2017.05.11 Glory 17
 手術後の経過は順調で、予定より少し早くリハビリに復帰した里香だったが、初めてリハビリを開始した気合いのこもったあの頃とはやや違い、毎日、淡々とメニューをこなしていた。成果の方はちゃんと出ていて、若干の違和感の残る歩き方ながら、ゆっくりなら自分で歩けるようにまでなってきた。病院の外では、季節が変化を続け、去年の秋から、冬を越え、そろそろ春が近づいてきたことが日差しや風の感触に感じられるようになってきた。大きな窓から日の光を取り入れて、温室効果のようになっている病室に居ると、なんだかポカポカとして眠くなってきそうだ。そんなある日、リハビリの後、里香は病院から与えられた昼食、僕はコンビニで買ったおにぎりを一緒に食べて、しばらく他愛もないおしゃべりをしていたら、本当に眠くなってしまい、里香のベッドに乗っかって並んでいたら、そのまま二人して熟睡してしまった。3時間くらい寝ていたようで、たまたま病室に来た桜井さんに起こされなければ、塾に遅刻していたかもしれない。
「桜井さん、ごめんなさい。勝手に病院のベッド使っちゃって」
「ああ、いいんですよ、そんなの。でもお仕事の時間じゃないかと思って」
「ありがとうございます」
慌ててバイトに行った僕は知らなかったが、翌日、里香から聞くと、二人で並んで熟睡しているところを、看護師さんは三人とも見ていたらしく、少しからかわれたそうだ。三人とも独身なので、気持ち良さそうに仲良く寝てるところをうらやましく思ったのかもしれない。でもまあ、そもそもみんなが働いている時間に、ポカポカ陽気で昼寝していたら、からかいたくもなるか。そんな風にまったりした日が何日か過ぎた頃、主治医の美人先生から、いよいよ退院の話をいただいた。自宅から通院できるようになったとの診断で、そうなると早いうちに退院した方がいいので、明後日以降、こちらの都合のいい日を決めて欲しいと言われた。長い間、入院していたので、急な話に感じたが、病院はホテルではない。病室を必要としている次の人にベッドを割り当てなければならない訳で、おかあさんと相談して、入院費用もかかることだし、仲良くしていただいた看護師さんや先生方とは名残惜しい気もするが、善は急げ、ということにして、もう明後日に退院することにした。

 入院費用と言えば、実は年末に一度、それまでの費用を決済したことがあったが、大変な額になっており、正直、聞いたときには一瞬、めまいがした。命を救っていただいたので、それはもういくらであっても感謝の気持ち以外にないのであるが、なんせ自転車操業を続けるフリーター夫婦にとっては、払いきれないくらいの金額だったのだ。ローンにしてもらおうか、と真剣に考えたが、親戚の叔母から、それは高額医療費補助として区が殆ど払ってくれるわよ、ということを聞き、洗いざらいのお金をかき集めて、なんとか一括で支払った。銀行で振込を済ませた時、貯金の残高が23000円だった。次の給料が入るまでの約3週間、一日1000円で暮らせばなんとかなるが、絵に描いたようなギリチョン会計だ。ふらふらしながら銀行を出ると、そこには「年末ジャンボ宝くじ」ののぼりが立っていた。僕は一応、数学を教えているので、確率やその期待値のことはわかる。だから、決して宝くじの類いは買わないのだったが、このときばかりは気持ちがぐらついてついつい売り場の受付を見てしまった。受付の女性は目が合った獲物は逃すまじとばかりに、たたみかけて売り込んでくる。その勢いに抗えるだけの気持ちの余裕はなく、人生初の宝くじを1000円買ってしまった。一日あたり1000円で生活することを余儀なくされたそのときである。1000円と言えども、「清水さんの舞台から飛び降りる気持ち」での購入だった。買った後で後悔の念に苛まれたが、数日後、買ったくじの番号をネットで照会したら、なんと10000円当っていた!これは神の思し召しか。貯金残高23000円から32000円に増えてしまった。一日平均約1500円で暮らせるようになったのだ!宝くじありがたや。しかし、ここで二匹目のドジョウをねらっても無駄に終わることはわかっている。勝ち逃げで申し訳ないが、ここで僕の宝くじ履歴は終了させてもらうことにした。なにせ、競馬などと違って、宝くじは何回買っても経験値が上がることも、当る確率が増えることもないのだ。という訳で、僕の宝くじの生涯戦績は、1勝0敗の賞金獲得率10倍である。なかなかすごいと思う。

 退院の準備といってもうちには、ありがたいことにアデラとおかあさんのために、座ったまま利用できる昇降機が既に階段の脇に取り付けてある。風呂やトイレにも足に障害があるアデラのために手すりがつけてあった。車いすや杖は病院からレンタルできるし、里香の生活に新たに必要なものは特になかった。長く主が不在だったところに中心人物の本人が帰ってくるという気持ちの変化があるくらいか。しかし、待ちに待った退院だが、いざ、本当に帰ってくるとなると、なんだかうちが騒々しくなるようで、おかあさんと僕とナオだけの静かだった生活が一変して掻き乱される気もする。せっかく邪気が落ちてきれいな心になった里香が、病院を出てうちに帰ったとたん、元の細かいことをガミガミいう面倒くさい存在に戻ってしまった、なんてことにならないで欲しいものである。退院は、またICUを出るときと同じで午後の遅い時間になってしまい、その日、僕は塾で授業前に用事があり、同席できないことになった。午前の時間に先生方や看護師さんら、お世話になった方々にお礼を言って、後はおかあさんに任せることになった。まあ、改まった儀式みたいなものは苦手で、変なことを言ってしまうかもしれないから、ここはおかあさんにお任せした方がよいのかもしれない。そして、あうだこうだと言っている間もなく、退院の日は来てしまった。予定通り、お世話になった方々にお礼を言って回ったが、病院は常に稼働しているので、みなさん笑顔で対応してくださったが、長話をする訳にもいかない。心からの気持ちは伝えつつも淡々と事は運んでいった。里香もいつもと変わらず、入院生活最後のリハビリセンターでのトレーニング後も普通に笑顔で
「おせわになりました」
と挨拶しただけだった。まあ、通院しながらまた会いにくるので、お別れというものでもない。リハビリの先生からうちでやる日々の練習メニューと自宅生活での注意事項などを聞いて
「またらいしゅうきま〜す」
といって手を振りながら毎日通ったセンターを後にした。

 夜、校長の西川さんの好意で早めに上がらせてもらって、うちに戻ったら、里香がリビングの中心にデ〜ンと座って、テレビをガンガンつけて君臨していた。テレビとエアコンと照明のリモコンを全部自分のそばに置いており、自分の思う通りにすべてを操作しているのがわかる。
「おっかえり〜〜〜〜!」
と里香の方が先に言った。うれしそうな大きな声だった。
「ああ、君こそおかえり。退院おめでとう」
「いえ〜〜〜〜い!」
おかあさんはキッチンで夕食を作ってくださっていた。ナオは早速、里香の膝の上にいてゴロニャンしていた。つまり、いきなり、いつもの我が家だった。長い道のりだったので、いろいろ感慨があるか、と思っていたがそんな感傷も吹き飛ばすかのようなバ〜〜〜ンとしたこの存在感は流石としかいいようがない。おかあさんがキッチンから来て
「純ちゃん、お疲れさま。夕食はもうすぐできますから、先にお風呂に入ってらっしゃい」
とおっしゃった。
「ああ、ありがとうございます。すみません」
なんだか、家庭生活が急なペースで進行していて、僕だけ置いていかれた感がしたが、でもこれはいいことだった。だってこれをこそ待ち望んでいたのだ。なのに幾ばくかの違和感を禁じ得ないのは、単に塾に行っててタイミングが遅れただけじゃなく、女性群の生活力に比べ、男の僕が観念的に過ぎていて、そのずれがあるのかもしれない(ナオは雄だが猫だから観念的じゃないし)。風呂に入り、湯船に浸かりながら家庭内で進行中のリズムに乗り遅れないように自分をもう少しアップテンポ気味にあおった方がよさそうだと思った。

 風呂から上がって、三人で食事しながら語り合ったら、いろいろ情報が入った。いよいよ退院というとき、いつもの三人の看護師さんが見送りに来てくれたそうだが、一番一緒になって笑っていた桜井さんは実にクールな対応で、一番クールに見えた谷さんがハラハラと涙を流していたという。そして、僕は遅れて家に戻ったので、いきなり普通の生活が怒濤のように始まったかのように見えたが、やはりそうではなかったようだ。帰りのタクシーの中で、意識が戻る前の僕とおかあさんの話を聞いて、里香も随分泣いたようだ。またうちの玄関に入ったときも涙がこぼれて仕方なかったという。そこにナオが外から飛んで帰って来て、足下にまとわりついたので抱き上げたら、たまらなくなって声を上げて泣いたそうだ。そこから3時間ほど経って、いつものペースになった頃に僕が帰って来たらしい。そして話はもうすぐ海外に住んでいるお兄ちゃんから電話が入るということで、お兄ちゃんの話題になった。長い入院生活の間、いつも心配して、何かと気にかけてくれたお兄ちゃん夫妻であった。おかあさんと里香が言うには、僕はお兄ちゃんに感謝しなければいけないという。そんなこと改めて言うまでもないが、二人が言っているのは、僕が結婚を許された一因はお兄ちゃんにあるというのだ。おとうさんから将来の目標を問われて「バカボンのパパ」と答えた僕が切り捨てられなかったのは、元々お兄ちゃんが掲げていた将来なりたいという憧れがもっとすごかったからだという。僕もバカボンのパパやら鉄腕アトムだのと現実離れしているが、お兄ちゃんの場合、現実にいるものではあるのだが、それはちょっと、いくらなんでも・・・という感じだ。なんとお兄ちゃんの昔からの憧れの存在とは、「フジツボ」である。フジツボになりたいというのだ。こんな人も珍しいだろう。実はこの話は僕も以前から聞いていて、一度ご本人に質問してみたことがある。お兄ちゃんが言うには
「いやあ、純ちゃん。フジツボはいいよ。岩なんかにくっついてジ〜ッとしててさあ。ときどきプランクトンやなんかのエサが来たらひょこっと触手を出してそれを食べてさあ。憧れるよなあ」
ということだそうだ。実にうれしそうな表情で言われるので、「そうかあ」と納得しそうになるが、考えてみればそれのどこがいいのか、普通の人にはわからないだろう。まず、動き回る自由を捨てているし、見た目もカッコよく思えないし、偉大な感じもまったくしない。お兄ちゃんにとってはそれらはどうでもいいことなんだろう。アグレッシブな生き方なんてまるっきり興味がない、と言わんばかりである。やはり、そこはお兄ちゃん独特の価値観の産物としか言いようがない。そして、きっと「バカボンのパパ」になりたい、と僕がいったとき、おとうさんとおかあさんは「またか。どうしてうちはこういうのが集まってくるのか・・」と思ったに違いない。そしてその嘆き自体が一種の諦めというか、僕が娘の夫として、家族の一員になることを結果として認めたような格好になっていたのだ。三人でそのことを思い出して笑っていたら、ほどなく、お兄ちゃんから電話がかかって来た。
「何はともあれ、退院おめでとう。純ちゃんも大変だったね。お疲れさまでした。これからも大事にしてやってね」
「はい。ありがとうございます。お守りやたくさんメールいただいて、里香も僕も励ましていただきました。アデラによろしくお伝えください」
「ああ、今、アデラに代わるよ」
「ハ〜イ。ジュンちゃん。よかったですね」
「アデラ、ありがとう。本当に感謝してます」
そこに歩みの遅い里香がようやくやってきて電話を代わった。二人は英語で流暢に話し合って僕には半分くらいしか内容がわからなかったが、お互いの気持ちを通じ合っているのはよくわかった。最後におかあさんが出てしばらく二人と話し合っていたが、やはり離れていても家族というのは、ありがたいものだなあ、と改めて思った。

 久しぶりの家族そろってのひとときを過ごした後、早めに寝ることにした。昇降機で2階に上がる里香を階段で追い越して、手を引いて寝室に入ったら、どちらからともなく、抱きしめ合った。
「おかえり、里香。よく帰って来てくれた」
「ただいま、じゅん。かえってきました。ありがとう」
涙がお互いの肩に落ちた。
「ルンペン臭くないか?」
「だいじょうぶ。さっきおふろはいったでしょ」
ベッドまで手を引いて連れていき、二人で並んで手をつないで寝た。明かりを消した暗い部屋で、我が家の天井を見つめながら、いろんなことを思い出した。初めて倒れた里香が運ばれていくのを見たとき、ICUで初めて冷たい体を見たとき、意識が戻ったあの日、二人で車いすで初めて外に出て月を見た夜、元気になっていき婦人科でくり広げられたいろんな笑い話、おかあさんと助け合ってここまできたこと、そして里香の居ないこの部屋で毎日祈ったこと。涙を布団の端で拭いて、暗闇に慣れた目で里香を見ると、すでに寝息を立てていた。額にキスしたが、寝息はまったく変わらず反応ゼロ。しかし、よく寝る奴だなあ。
 
 山内さんが条件として提示したのは、こういうことだった。彼の経験から、婦人科の入院病棟で誰かのカットやメイクをしたら、わたしも、わたしも、となってみんなが押し寄せてきて、実際、彼の目から見て、困ってるんだろうなあと思える患者さんばかりで、断りにくくなってしまうのだそうだ。やはりそこは女性が集まっているので切実な願いなのかもしれない。そこで、今回は初めから里香さんオンリーで、他の患者さんの臨時オーダーはできません、ということを確定しておいて欲しい、とのことだった。翌日、ナースステイションで、まず、里香のカットを病院内でしていいのかどうか、そして、他の患者さんはできないということをどうやって伝えたらいいのかを聞いてみた。随分わがままな話だと思うが、いつもの看護師さん三人は意外にあっさりと、
「それなら、ここの奥でやればいいんじゃない?」
「そうねえ。ここでいいんじゃない」
とナースステイションの奥のスペースを使わせてくれることを提案してくれた。確かに、病室からはカットしていることはわからないし、だったら、わざわざ断りの方法を考える必要もなかった。長い間、入院しているので、なんだか牢名主のように、特別扱いになっている雰囲気だ。そういえば、ベッドの向きが僕のマレーシア行きの前と変わっていた。これも里香が自分の好きな向きに変えてもらうように頼んだらしい。元々、交渉能力は高い人で、自他ともに認めるお人好しの僕なんかから見ると、人使いが荒いというか、女王様みたいなところがあった。練馬の借家から、今の実家に移る時もこんなことがあった。台所の換気扇まわりのクリーニングを不動産屋さんがプロにオーダーするからその料金をいくばくか負担して欲しいといってきた。それを里香は自分でやるといい出した。この家のトイレの床を自分一人でフローリングにした実績のある里香だけに、また自力でやるのかと思ったが、不動産屋さんは
「いえいえ。素人の方がやったんじゃ、どんなにきれいにしたってわれわれから見ればダメなんですよ」
という。そこで里香は一度自分でやってみて、結果を見て判断して欲しい、と掛け合って来た。そして、自分でやるのではなく、当時まだ普及していなかった蒸気を噴射して油汚れを画期的に落とすというクリーナーのセールスマンを我が家に連れて来て、1000円でお試しクリーニングという企画を利用して、換気扇周りを完璧にきれいにさせた。本当はコンロ周りのみの企画なのに、セールスマンに口八丁言って換気扇までやらせたのである。僕もそれを見ていたが、別に色仕掛けでもなんでもなく、うまく口車に乗せて
「わかりました、わかりました。やります、やりますよ。はいはい」
と言わせてしまう技には感心するばかりであった。しかもやらせておいて商品を買う気なんて、はなからさらさらないのだ。そして次の日、検分に来た不動産屋さんから
「うん。確かにこれはきれいだわ。わかりました。クリーニング代はご負担無しで」
という言質を引き出した。僕の方をどや顔で見た里香は、それだけに停まらず、不動産屋さんの負担分からいくらかを引き出そうと交渉し始めた。これには僕が遠慮してストップをかけたが、不動産屋さんが引き上げてから
「あなた。バカね」
と斜め上から侮蔑したような目で僕を見ながら言った。
「せめてバカ正直といってくれ」
「まあ、いいわ。でも私に感謝しなさい。少しでも出費を抑えたんだから」
「はい。感謝します」
こんな調子で、僕をびっくりさせた別の一件もある。長年つとめたイギリスの証券会社のバイトを辞める時、退職金を会社との交渉で引き出したのである。僕の感覚では単なるバイトに退職金なんて聞いたことがないが、それだけ職場で役に立っていたのか、得意の口八丁が功を奏したのか、なんと僕の年収に匹敵する額を出させたのには驚いた。例の成田~ロンドンの往復ペアチケットをクイズ大会でゲットしたあの会社だが、随分と気前がいいもんである。話は前後するが、しかもこのチケット、ヴァージン・エアラインのアッパークラスだった。他の航空会社のファーストクラスはおろかビジネスクラスだって僕らには縁がないと思っていたのに、世間で評判のヴァージンのアッパーである。行きの機内では、僕らのすぐ前の席にCAやパーツァーがいちいちひざまづいて挨拶する人がいて、一体どんな貴人かと思ってトイレに行くときに会釈をしながら見てみたら、立派なカイザー髭を蓄えた、きっと貴族階級の人なんだろうなとわかるジェントルマンだった。そんな席にバックパッカーの日本人夫婦が乗ってきたのである。僕なんて思いっきり地に足が付かない心持ちだったが、さすが里香は堂々としていて、ゴージャスな喫煙コーナーで悠々とタバコを吸ったり、自分の座席シートをゆったり寝かせて高級ワインをくゆらせたり、上流階級ごっこを存分に楽しんでいた。
 ついでに家の営繕関係での交渉上手について、もう一つ言っておくと、今の実家のお風呂の床下が修理の必要があるんじゃないか検査しますよ、とある建築屋さんが訪問セールスで言ってきた時に、本当に必要があるのかないのか、自分の目でも確かめたい、と里香が言い出した。床下に入るのは大変だから、写真を撮ってきます、という建築屋さんに
「今すぐ着替えますから」
といって、ジャージ姿にタオルで髪を被った奥田民生みたいな格好で現れ、
「一緒に連れてってくださ~い」
と彼の後ろに早々とくっついた。
「いいんですか、本当に。じゃ、いきますよ」
と驚き半分、笑い顔半分の彼と一緒に床下に潜っていった。素人同伴なので声を掛け合いながら、土にまみれつつ匍匐前進でお風呂の下まで行って、あれこれ説明を受けて20分ほどで戻ってきた。蜘蛛の巣やら泥やらを払いながら
「あれは早く修理しなきゃ危ないわ。こちらにお願いしましょう」
といった。建築屋さんも
「ありがとうございます。いや~床下までついて来られた奥様は初めてです」
と、なんだかうれしそうだった。
そこからの交渉を見ていたが、建築屋さんが一緒についてきた里香に感心してしまって、彼女のペースに嵌っている感じがありありとわかった。実際に見ているので、必要という程ではないけど安心のためにここも、という類いの彼にとってはくっつけたいオプションも一切なし。逆に工賃の値下げサービスをうんと言わされつつも、参ったなあという笑顔だった彼の表情が印象に残った。

 さて、ナースステイションから許可が出たので、数日後、山内さんが道具箱を持って病院にやってきた。彼はお店付きの美容師ではなく、今やモデルさんのスタジオ撮影やファッションショーの現場で腕を振るうメイクアップ・アーティストなので、このスタイルの方が様になっている。実はここ一年ほど、里香が何かにカッとなって、彼とは会わない日が続き、そのまま倒れたので今日が久しぶりの再会であったが、里香はそんなことは忘れているようだった。彼の方も全く何も気にせずにいつも通りのクールな対応をしてくれた。大きな鏡があるわけでもなく、本来、髪を切るスペースでは全くない場所だったが、さすがはプロである。どれくらい切りたいのか大体のイメージを聞いて、あっという間に仕上げてしまった。引き上げようとする彼と廊下を歩きながら少し話したところ、
「メイクまではできないけど、カットだけでもまあまあいいでしょ。今日は僕からのお見舞いだということで、お金はいらないよ」
といってくれた。
「ありがとう。お言葉に甘えるよ。また退院したら、通うから俺共々、よろしくね」
そして別れしなに彼はこう言った。
「里香さん、なんかつきものが落ちたみたいな感じだな。内面的によくなったみたい。痩せたのなんの関係なく、今までで一番きれいだよ」
「本人に言っとくよ。きっとよろこぶ」
「じゃ」
彼はお世辞なんて言わない人だ。その彼の意見だけに里香もうれしいだろう。ナースステイションに戻ったら、里香が椅子に座ったまま、手鏡で自分をいろんな角度から見ていた。何も言わず、ただ、少し笑みを携えて鏡の自分を見ていた。山内さんの言った通り、すごくきれいだった。ようやく僕の方を見て黙って微笑みかけた。何も言わないが「どう?」と聞いている。山内さんと同じ台詞で
「今までで一番きれいだよ」
といったら、比喩でなく本当に里香の笑顔からキラっと光がしずくのように輝きこぼれた。