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2018.05.15 Glory 29

 約二年振りに塾講師に復帰した僕だったが、流石にダメ人間だった期間のブランクの影響は大きく、初めは失敗の連続だった。それらはみな講師としてのスキルの問題ではなく、一社会人としての常識の部分での失敗だった。例えば、連絡事項をうまく受け取れなかったり、伝えられなかったり、持ち前の方向音痴に拍車がかかって、指定された場所にたどり着けなかったりである。あるときには研修先の校舎で若い講師から

「あなたのような人間にうちで授業をしてもらいたくない!!」

と怒鳴られたこともあった。実はこれは彼の誤解もあったのだが、確かに彼が怒るのもわかった。すっかり意気消沈した僕は、講師としての腕前にも自信をなくしてしまった。そこで僕は配属された渋谷の校舎で、しばらく授業を持たず、研修期間とさせていただきたいと申し出た。自分なりにリハビリ期間が欲しかったのである。これを聞いた、若く熱意のある、とても有能な校長は、快諾してくれて、

「それでは、この校舎の全ての講師の、全ての授業を自由に見学していただいていいです。私の責任でそれを許可しますから、ご存分に勉強なさってください」

と言ってくれた。こんなことは特別な話だと、長年やってきた僕にはよくわかる。有り難い話だ。僕が上京してきた頃、首都圏ではまだ小さな存在にしか過ぎなかったこの塾が、業界でも一二を争う大手にのし上がってきたのも、こういう前向きかつ大胆な発想とそれを実行する積極性があったからなのだろう。自分の担当と関係なく、いろんな科目の、いろんな学年の授業を見学させていただいたことは予想以上にいい勉強になった。そして、ここにカリスマ講師が集まっている、と幹部が言っていたのがよくわかった。それまで自分が勝手に考えていた受験指導の枠組みが、単なる一つの形態でしかないこと、いかに自分が勉強不足だったかもよくわかった。何週間かが過ぎた頃、校長から

「どうですか?勉強になりましたか?そろそろ研修の成果をみせていただきましょう」

と言われ、模擬授業をやって校長以下、ベテラン講師の方々に見ていただく運びとなった。ここは全力で当りたい。5年生の理科で「音の性質」という単元だったので、ここぞ、とばかりに至からノートパソコンを借りて、波形編集ソフトを使って、テキストに載っているオシロスコープの波形データを実際にいろいろな音を出しながら見せていくことにした。自前のギターやバイオリンや伝家の宝刀、尺八も駆使して、念入りに組み立てを考え、これに臨んだ。やり始めるまではかなり緊張したが、やってみると意外に落ち着いて授業ができ、臨機応変に計画を変更して対応することもできた。ベテラン講師のお一人からいくつか適切なアドバイスをいただき、講師室に戻ると、校長から

「いや、すばらしかったです。これはもう純先生ならではですよね。早速、担当クラスを持ってもらいましょう。実はお願いしたいと思っているクラスがあるんです」

と言われた。同じ校舎に小林先生という人が既にいて、区別するため、僕は下の名前で呼ばれていた。このときは本当にうれしかった。ちょうど学年が入れ替わり、新しいクラス編成になる時期だった。担当を指示されたクラスは小学5年生の一番上位のクラスだった。そしてここから僕にとっての第二の塾講師人生が始まった。素晴らしい仲間にも出会えた。教える技術や受験の知識などもこれまでになく向上したと思う。なにより、大きなやり甲斐を感じていた。生きる張り合い、もっといえば生きていく意味を見つけることができた。


 夢中になって塾の仕事に取り組んだ。そういうときにはいい仲間とも出会えるもので、こんなすごい奴も世の中にはいるんだなあ、と思えるようなスーパー講師が何人かいた。塾講師という家業は何か別の仕事を持ちながらやっている人が多い。かくいう僕もそうだが、統計学の学者だったり、詩人だったり、ゴーストライターだったり、メジャーで活躍中の作曲家だったり、いろんな人がいた。副業としてやっている塾講師で業界トップレベルのカリスマなのだ。何事もこっちだけよくてもう片方はダメ、なんてことはない。本業がすごい人は副業もすごいのだ。そして逆もまた真なりで、自分がいかに中途半端な人間なのか痛いほどよくわかった。精一杯やっていく中、年を二つ越え、担当したクラスが受験を迎え、そして生徒達はいくつもの奇跡を見せてくれた。自分が誰かの役に立っている、そう実感できるとき、人は一番歓びを感じるのだと改めて知った。

 そんな中、思いもかけなかった出会いが待っていた。その人を初めて見たとき、里香を初めて見たときと同じ感じがした。しかもそれは同じ日付けで場所もほぼ同じであった。そしてその数ヶ月後、僕は四十八才にして、生まれて初めて自分から女性の手を握り、その人と付き合った。彼女は僕と付き合い始めた頃、自宅に一人でいるとき、里香が会いにきたという。姿は見えない。ただ、部屋の中で風が吹いて、そこに里香がいることがはっきりわかったそうだ。涙が止まらず、心の中で必死になって祈ったら、とたんに風が止み、元に戻ったという。そのとき、「許されたんだ」と確信したのだそうだ。

「わたしと里香さんは心でつながってるのよ」

よくそう言っていた。バイクを降りる決心をし、緑馬を売却することにしたとき、電話でそう告げたら彼女はさめざめと泣いた。やはり随分心配していたようだ。後日、

「あれは、二人分泣いたのよ。里香さんの分も」

そう言っていた。素晴らしい女性だった。賢く、常に前向きで、自分の意見をはっきり言う人だった。しかも相手が聞き入れやすいように言うのが上手だった。そしていつも僕に献身的につくしてくれた。彼女の助言で離ればなれになっていたリョウさんと再会し、また一緒にやるようになった。彼女の応援で、僕はいくつも失ったものを取り戻していった。彼女の勧めで始めたライブをきっかけに、キーボードやパーカッションの素晴らしい仲間とも出会えた。自分から積極的にプロモーションするようにもなった。お蔭でインドの方で高名なシタール奏者とも共演できたし、また地元の喫茶店で定期的にライブをやらせてもらうことになり、毎回、多彩なゲストを迎えて、自分の枠を広げることができた。そしていつも彼女がそれを支えてくれた。塾の仲間や生徒達のお蔭で、僕は人間らしさを取り戻し、彼女のお蔭で音楽への情熱を取り戻した。ただ、彼女と付き合っている間、実は作曲は全くできないままだった。しかし、既存の曲をもっともっと深めていくことの大切さを彼女のお蔭で学んでいたので、今はそういう時期なんだと思っていた。

 付き合って三年が過ぎ、彼女は僕の元から去っていった。いつまでもうだつの上がらない僕が疲れさせてしまったようだ。彼女にふられ、流石に心底落ち込んだが、ふられてすぐ、不思議なことに作曲が以前のようなペースでできるようになった。なにか、彼女は僕に足りないもの、欠けていたものを授けにきてくれていたような気がする。やがて音楽活動の方にも変化があった。僕とリョウさんに加えて、もう一人のギタリストが仲間に入った。才能と情熱と集中力があり、強力なメンバーが加わった訳だが、なによりもいいのは純粋で優しい男なのだ。三人で残りの人生を懸けて精一杯やろうと誓い合った。


 時は流れ、つい先年、里香の親友の由里ちゃんが亡くなった。五十三才という若さで。病に倒れてからはすぐだったようで、ある意味、彼女らしくもあった。きっと向こうで里香と会って一緒に笑っているんじゃないかと思う。二人が会っている姿を想像すると笑っているとしか思えない。いいよ。そこから僕らを見守ってて。ただ、二人であんまり僕らの悪口とか言わないでよ。ね。


               *


 2004年の夏は記録的な猛暑だったという。僕はそれを後年になって人から聞くまで知らなかった。

それだけ、周囲の現実から心が離れていたのだと思う。どんなに暑いのか、それさえも気付かなかったのだ。里香が亡くなるなんて信じられない事態を、僕とおかあさんはどうやって乗り越えてきたのだろう。そして人は年をとって次第に老いていく。四十三才という年齢で亡くなった里香は、やっぱりずっと四十三才のままなんだろうか。だとしたら、一つ違いだった里香と僕がどんどん年齢が離れていく訳で、不思議な気がする。里香は僕の記憶の中だけにいるとは思えないからだ。人は時の流れに逆らえない。ただただ流されるままになっていた時期もある。しかし、いろんな人と出会えたことで、少しずつ失いかけた自分を取り戻せてきた。それにしたがって、里香が夢にでてきたり、声が聞こえたりすることも減ってきた。今はきっともっと別の空間にいるような気がする。

 そしてこれからもきっと新しい出会いがあり、新しい世界が広がっていくことだろう。人生は長い旅だ。つらいこともある。うれしいこともある。旅を続けられる歓びを感じながら、これからもずっと歩いていきたい。



 里香が倒れてからの七ヶ月のことを僕は宝物だと思っている。亡くなったのは悲しいことだが、それは生きている人間に特有の感覚なのかもしれないと思うときがある。一度は失いかけた命を吹き返したのは、ひょっとして神様から人間修行の再履修を言われたんじゃないか。まだ我が強かったり何か足りないところがあってそれを神様から指摘されて、この世に戻ってきたのかもしれない。あの期間、迷ったり、つらかったりもしたけど、今思えば、笑顔と感謝の七ヶ月だった。亡くなる少し前、体調が悪くなっていく中、里香は僕にこう言ったことがある。

「でもわたしは、いまがいちばんしあわせです」

どうしてかと聞くと

「あなたがやさしいから。あなたといっしょにいられるから」

と言った。バカ。俺は昔からいつも優しいぞ。そう心の中で思ったが、でも僕も幸せだと思った。苦しい時期でも感謝を忘れず、しあわせだと言ってくれた。合格点が出たのかな。蘇生してからはつきものが落ちたように素直になった里香。だんだん無垢になっていき、最後はちっちゃな子供みたいになって、そして僕にとって天使になった。大事な大事な、一番大切なものは何かを教えてくれた。道を見失った時期もある。でもみんなのお蔭で、僕はまだ生きて、人間としての旅を続けている。そしていつか。頑張って頑張って生きていったその先で、きっとあの眩いばかりの光の中で、再会できると信じている。そのときは胸を張って、笑顔で会えるように、今を精一杯生きてみるよ。

『がんばって!』

 ありがとう。僕の里香。

 また会える日まで。




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2018.05.13 Glory 28

 塾の仕事を辞めた僕は、日々、ぐうたらに過ごした訳ではなく、音楽に専念しようとしていた。迷惑をおかけしたままになっていた編曲の仕事をなんとか終了し、発売が大幅にずれ込んだことを心からお詫びした。そしてリョウさんとのバンド活動に全力で当ろうと思った。塾の仕事を辞めて音楽に専念する。言い換えれば、塾を辞めても生活していけるだけ音楽で稼げるようになる。それは僕ら夫婦の目標だった。形はいびつだが、曲がりなりにも塾を辞め、バンド一本になったので、「もう何も失うものはない。里香が命と引き換えにくれたチャンスと思って精一杯やる」そう誓ったのだった。しかし、人生、なかなかうまくはいかないもので、肝心のバンドが人間関係のもつれからバラバラになってしまった。僕とリョウさんが喧嘩した訳ではないが、なんの運命か、一番大切に思っていたバンドが消えてしまった。そして、わずかばかりの貯金もだんだんとなくなっていき、ついには生活ギリギリのところまで来てしまった。里香が亡くなってから二年が過ぎようとした頃、もう明日の食費もない、という状態になり、僕はバイトを再開することにした。塾の仕事に復帰するのはなんとなく嫌だった。今回のバイトはあくまで仮の姿で、すぐに立て直して音楽一本にしぼりたい。そう思っていたようだ。そこで僕は日雇いの肉体労働を選んだ。もう四十六才だったが、身体が弱いという訳じゃない。やったらまだまだできるわい。そう思った。


 初めての経験だったが、朝早く、集合場所にいってみると意外に若い人は少なく、同世代と思しき人がたくさんいた。会社をリストラされたのだろうか、それともまた何かの事情なのだろうか、見た感じも会社勤め風の、あんまりイカツくないタイプの人が多かった。作業服とドカヘルを支給され、学校の朝礼のように、みんな集まって、現場を取り仕切っているらしい若い男性から、今日の仕事の説明を受け、最後に

「時間厳守で、安全第一! みんなで気配り、いい職場! 今日も一日がんばろう!」

ってな言葉をみんなで唱和して、指示された場所にそれぞれ分かれていった。

 肉体労働といっても、手に技術のない僕らにできることといったら、掃除とか片付け、荷物や廃棄物の移動、そんなところだ。やってみてわかったのだが、職人さんは現場の花形スターだった。大工さんにしても佐官さんにしてもクレーン車のドライバーさんにしても、その腕前たるや見事なもので、素人は離れたところから見蕩れている他なかった。僕らはスターである職人さん達の邪魔にならないように、舞台の脇や裏で単純作業に勤しむのみだ。そしてなぜか職人さん達はかっこいい人が多かった。見た目もハンサムなのだ。その上、気配りもできて優しかったりする。ヒーヒーいいながら片付け仕事をやっている僕らに、黙って陰で助けてくれた上で

「こっちの方はやっといてやったからいいよ」

なんて言ってくれたりする。

「あ、ありがとうございます!」

こりゃ、女だったら惚れちゃうよ。職人さんが女性にモテるということが、リアルに理解できた。

 五時まで働いて、日給をいただいてクタクタになりながらうちに帰る。風呂に入って、しばらくぼ~っとしたら、そろそろ西ちゃんのバーが開いている時間だ。昼間、身体を使いまくったから、ビールがなんとも美味い。ついもう一杯ぐびぐび飲んでしまう。2杯を一気に飲むとさすがにいい気分になって、いつものシングルモルトに移行する。聞き上手の西ちゃん相手に

「職人さんてかっこいいんだぜ」

なんて話をしてたら、面白くなってついつい杯を重ねてしまう。いい加減酔ってきたところで、会社帰りの常連仲間が揃いだすとまた話が面白くなって、もう一杯、また一杯、・・・・。 気が付いたら、もう明日の交通費を残すのみ。ああ。やってもうた。一日の稼ぎを飲んでしまった。典型的なダメ野郎だ。昔、リョウさんがつらいことがあった時期に正午くらいから電話がかかってきて

「今、蕎麦屋にいるんだけど、あの・・・一緒にダメ人間になりませんか?」

としょっちゅう誘われたことがあった。蕎麦屋って、昼間から飲めるのだ。居酒屋やバーは夕方からなので、本格的なダメ人間はまず、蕎麦屋から飲み始める。それに毎回つきあっていた僕も僕だが、金がないから始めたバイト代を毎回飲んでしまうとは、これまた如何なものか。音楽に突き進むための仮のバイトとして始めたのに、わずかな日当を全部飲んでしまう自分の情けなさを、毎晩の酒がまた隠してしまう。そんな生活が2ヶ月ほど続いた。

 さすがにこれではいかんと思い、自分にも職人さんのような「技術」がないかと考えた。当たり前だが、他の人にできない僕の「技術」とは尺八を吹くことだ。これをお金に換えるにはどうしたらよいか。そんなことずっとずっと考えてきたはずなのに、どうも頭の方もダメになってきたようで、大学時代にやっていた虚無僧修行を思いついた。虚無僧とは、本来は普化宗という仏教の一派に属し、つまり一応の僧籍を持ち、お坊さんが読経をしながら托鉢して回るのと同じように尺八を吹奏して回るのである。先輩の尺八奏者から修行のためと勧められて僕も始めたのであるが、なかなかお金なんていただけない。一日吹いて歩いて0円ということも多かった。怪しまれたり、あからさまに拒絶されたり、通報を受けた警察官から職質されたり、また逆に

「お風呂いかがですか?」

などと親切にされたり、あるときは子供たちがまとわりついてしょうがないからドラえもんやヤッターマンのテーマを吹いてやったり(そんな虚無僧あるか!)、いろいろな意味で勉強になった。やっていくうちにコツを知れば日によっては儲かることもあった。面白くなり始めた頃に、ある晩、堺市の繁華街を吹奏しながら歩いていると、いきなり後ろから誰かに肩をつかまれた。振り返ると肩をつかんだ主は「ヤ」のつくご商売の方だった。「ヤ」といっても下っ端のチンピラから上級幹部まで様々だが、その方は一目でそれとわかる、武闘派、いざとなったら命のやりとりをする一番こわ~いお仕事をされている方だった。目の据わり方、人相が普通の人とは全く違う。ゲッ、これは大ピンチ!僕はこの危機をどうやって切り抜けるというのか?もはや逃げるなんて無理!雪駄履きの上に、こわくて足がすくみだしたのだ。するとこの方は

「おおう、今でもこんなんやってるねんなあ。懐かしいなあ。頑張りや!」

と言って、なんと五千円札をくださった。

「あああ、ありがとうございます!がんばります!」

虚無僧は本来、作法として、道ゆく人と口をきいてはいけない。だがそんなことは忘れて激しい緊張からの一気の安堵に、心からお礼を言ってしまった。その日、僕はなんと、合計で塾の収入の日割り計算を上回る金額をいただいてしまった。そんなことを思い出し、

「そうだ。虚無僧だ。虚無僧をまたやろう」

そう考えた。しかし、考えたところでこの計画は頓挫した。尺八はあるし、着物もある。だが、天蓋(かぶるやつ)や袈裟がないのだ。それを揃えるにはまた明日も明後日もずっと働かなくてはいけないのだった。


 そんなある日のこと。その日の仕事はいつになくハードなものだった。あるビルの地下室に溜まった雨水を全部吸い上げて、扇風機で乾燥させ、埃を全部掃除せよ、との指示だった。担当は僕ともう一人年配の方の二人のみ。しかも雨水を吸い上げるポンプはなく、

「これでやって」

と渡されたのはスポンジとバケツだった。ほんまかいな。こんなん、ポンプで吸い上げたら一気に終わるのに。

二十坪ほどの広さのその地下室に入ってみると、これまたびっくり。床から天井までの高さが1.2メートルしかないのだ。つまり、一日中かがんだまま作業をしなくてはならない。しかも雨水は20センチほどの深さまで溜まっている。ちょっとこれ、島流しになった罪人のような気分だ。僕と六十才前後と思われる相棒の方と目を見合わせてあきれた。しかし、やるしかない。途中までで終わってもしょうがないだろう。やれるところまでやるか。そう思って泥水に浸かりながら、スポンジで掬った雨水をバケツにためて、それを地上まで運んで捨てるという過酷な作業を始めた。お昼の休みにおにぎりを二人で食べながら、話しているとその人は

「三時くらいまでには全部吸い上げましょう。乾燥したり、履いてきれいにする時間考えたら、それくらいでないと」

とおっしゃる。この人、やる気なんだ。正気か?と思ったが、任務を完全にやって、現場監督がどんな顔するのか見てやりたい、という気に僕もなってきた。午後からは何も考えず、ひたすら作業に勤しんだ。「やってやる。やったろうやないか」そう心の中でつぶやいていた。いつしか雨水はなくなり、床が見えた。そして大型扇風機を2台運び入れて、風を当てて乾燥作業にかかった。乾燥が済んで、砂ぼこりだらけの床を短い箒とちりとりできれいにした。作業が全部終わったとき、ちょうど五時の時報がなり、すべての仕事が終了となった。若い現場監督が仕上げを見て

「あああ!これはもう大感謝ですよ。お疲れさまでした」

といったときは、相棒の方と顔を見合わせてサムアップした。日当をもらいに列に並ぼうとしたとき、日がな一日かがんでいたせいで腰が伸びなかった。膝を手で押さえつつかがみながら日当を受け取り、くたびれ果てた身体に鞭打って現場を出たら、となりは、お琴の大流派の本部会館だった。あれれ、そうだったのか。外からも見える掲示板を見たら、「今月の館内演奏」と称して演奏家の名前が並んでいた。ほう、と思って先を読むと、僕の所属する合奏団のメンバーや仲間の名前がいくつもあった。ああ。俺は何してるんだろう。こんなことはもういい。こういう世界も十分知った。もういいよ。心底そう思った。まさか、この会館のとなりだったとは。これも何かの示唆だろう。そう思った僕は、日雇いの肉体労働を辞め、変な意地を張らず、塾に復帰することにした。


 また、なんとなくなのだが、今までお世話になってきた塾には戻りたくなかった。その方が時給はいいとは分かっていたが、なにもたくさん稼ぎたい訳じゃない。家族がいるのでもない。ただ一人、当面、食っていければいいのだ。スーパーのレジ近くに無料で置いてあったタウンワークをみて、進学塾の講師の募集を調べた。二社が募集をしていた。その両方に連絡をしたら、すぐに採用試験となった。まだどちらに使ってもらうともわからない。両方を受けたら、どちらも厚遇で採用してくれた。筆記テスト(当然満点だった)の後、面接となったが、面接官だった塾幹部から、是非、カリスマ講師の集まる渋谷の特別校舎で働いて欲しいと言われた。自信はなかったが、そこまで言われるなら、とお受けした。二社のかけもちになるが、まあいいだろう。その点も承知の上での採用だったし、なにせ今は金が必要なのだ。その日のうちに校舎にいき、今後の手続きなどを聞いて、帰るときに、ちょうど生徒たちが集まり始める時間となった。講師の方達の挨拶の声が大きく響き渡る。続々と子供たちがやってくる。活気が溢れ、何か大きなものがそこで躍動している感じがひしひしと伝わってきた。

「ああ、帰ってきたな。いろいろあったけど、俺、ここへ帰ってきたんだな」

音楽こそが自分の本業で、塾はあくまで副業。そんなことをずっと思ってきたが、関係ない。仮の姿でない真人間として生きる歓びがそこにあった。校舎を出て、うちへと戻る道すがら、ずっと里香が励ましてくれているのを感じていた。





2018.05.11 Glory 27

 霊柩車に乗ったのは、そのときが初めてだった。葬儀会場から、火葬場までは近いのであったが、係の方の配慮で迂回して自宅の前を通ってもらった。うちの前で止まってもらって、家の中にいたナオを連れ出して最後の対面をさせた。最後の対面なんて人間には意味があっても、動物にとって「死」は忌まわしいのもでしかないだろう。予想通り、ナオは極端に嫌がって必死に抵抗しようとしていたが、僕ら人間の都合で無理矢理対面させた。ナオにとってはいい迷惑だよな。そう思いつつも昨日からの儀礼的な行動が完結しないような気がして、やってしまったのだった。しかしまだまだ儀礼的な事柄は続く。ゆっくり走り出した霊柩車の中で、遺影を前向きに抱きながら、一連のプログラムが儀式に過ぎないのだということを強く感じていた。それにはふたつの事が理由としてあった。ひとつは昨日の朝、里香に会ったこと。そしてもうひとつは、里香の唇の冷たく固い感触だった。あれはもう里香じゃない。かつて里香が宿っていた、もうなんの機能もしない単なる遺体でしかない。本物の里香は僕らが感知することができない別の空間にいるのだ。そしてその空間は僕らの生きているこの世界ときっと重なっているのだろう。誰かに確証をもって伝えることは全くできないが、強くそう感じていた。


 火葬場に着いて一連の儀式が遂行する中、自分が意外に淡々としていられたのは、里香が身体から離れて確かに存在していると感じていたからだろう。実は僕は親族を失くした経験がこれまでになく、初めて人の死に接したのは里香のおとうさんのときだった。五十四才という現役バリバリの年齢で亡くなったおとうさんだったが、ご自身の最期を迎えるに当っての凛とした態度には、恐れ入ったと言うか、流石、名門の武家の末裔という他なかった。お骨を拾うという作業もおとうさんが初めてだったが、そのとき一緒に拾った里香の骨を今度はおかあさんと一緒に拾うことになった。そのとき、僕とおかあさんは同じことを感じて、同じことを同時に言った。

「おとうさんの骨とそっくりだねえ」

筋骨逞しい偉丈夫だったおとうさんと若い女性の里香が同じ骨格というのは里香に失礼かもしれないが、遺伝子のなせる技というのか、本当にそっくりだった。気になっていた大静脈に付けられたはずの血栓防止の金属の弁は、解剖のときに取り外されていたらしく、もうなかった。


 お清めの席での事だったと記憶しているが、ずっと沈黙を保っていたお兄ちゃんが、初めて皆の前で挨拶をした。お兄ちゃんらしく、心のこもった、とても立派な挨拶だった。その最後で、それまで気丈にふるまっていたお兄ちゃんは急に下を向いて泣き崩れたのだった。堰を切ったように声をあげて泣いておられた。アデラが肩に手を沿えて懸命に慰めていた。両の拳を握って、机の上につっぷしたまま涙をこぼしていたお兄ちゃんの姿を僕は忘れることはないだろう。あんなお兄ちゃんを見たのは、もちろん初めてだ。お兄ちゃんはおかあさんのお腹にいるときから、ずっと里香を見て来た。どんなに里香を愛していたか、それを僕は里香から聞いていた。随分と変わったエピソードもあったが、お兄ちゃんが里香に言った言葉の数々を聞いて、その端々から妹への愛と、また里香の小さい頃からの成長の過程を垣間見てきた。それだけに、ずっと近くにいた僕が里香を助けてやれなかったことを本当に申し訳なく思った。相変わらず涙にブレーキがかかる僕と、さめざめと泣き暮れるお兄ちゃんとに、実は違いはなかった。ただね、お兄ちゃん。僕は里香に会いました。里香はきっと神様のところにいます。そしてその場所は僕らのすぐそばだと思います。下を向いたまま泣いているお兄ちゃんに、僕はそう伝えたかった。


 それから何日が経ったのだろうか。僕はひとり、うちにいた。おかあさんがどうやってお兄ちゃんとアデラのところへ帰ったのか思い出せない。ナオはずっと一緒にいる。ご飯が欲しいときに足下にまとわりついたり、夜はそばに来て隣りで寝たり、相変わらずだが、里香がいなくなったことはわかっているようで、どことなく淋しそうな顔をしている。そう言えば、おかあさんも

「ナオちゃんも淋しいみたいね。窓から外を見てて、背の高い女の人が通るとずっと目で追ってるわよ」

と言っていた。だから何日かはおかあさんと一緒にいたはずだ。そして、里香の遺影についておかあさんの言った

「この写真、泣いたり笑ったりするのよねえ」

という言葉と、自分が激しくそれに同意したことは記憶に残っている。紙にプリントされた画像が変化することはありえない。だから、写真の中の里香が泣いたり笑ったりするのは、僕らの脳内でそう見える何かの作用が起きているとしか考えられない。人間の感覚とはそういうものなのだろう。ひとりこの家に残った僕は、何を考えたのか新しいデジカメを買うことにした。里香の一眼レフは僕の手にあまる。特別なありえない状態の今を記録しておきたかったのか、よく分からないが、手頃な値段のコンパクト・デジカメを買った。取説を読みながら、最初のショットを撮ろうとしたら、里香が撮ってくれ、とせがんでいるような気がして、まず、遺影を撮った。次に自分を撮ったのだが、そこに写った自分は、抜け殻のような、なんとも言い難い、生命感のない顔をしていて、我ながら唖然とした。この後も生きていくなら、いずれ見返すときも来るだろうと思って保存した。なんだろうか、音のない世界に嵌り込んだような感覚があった。意味のある何かに接することができないような、空虚な感覚だ。一人になったことが大きく影響しているとは思ったが、それにしても何もかもが、砂を噛むような殺伐とした感触だった。 働く意味を失った僕は、塾の校長、西川さんに退職を申し出たが、受験生をもっている以上、彼らの受験終了まではやってもらわないと困る、と言われ、却下された。いつも僕のことを支援してくれていたのに、なんなんだ、と思ったが、抵抗するエネルギーもなく、仕方なく授業をやり続けた。何故か全身にできた蕁麻疹が治まらず、皮膚がボロボロになったのを生徒から気持ち悪がられたことは覚えている。きっと精神的に追い込まれていたのだろう。何が何だかわからない、というか、考える余裕がもうない、そんな状態のまま、夏が過ぎていった。


 秋になった。僕はきっと周囲の人に励まされながら生きていたに違いない。細々とした断片的な記憶がそれを示唆している。その頃、僕は里香の夢をよく見た。あるときは、見たことのない山あいの坂道を二人で手を繋いで降りていく夢だった。里香は独身時代によく着ていたグレーのダッフルコートを着ていた。繋いだ手を大きく振りながら二人で降りていく坂道の向こうには、初めて見る美しい海沿いの風景が広がっていた。夢から醒めたとき「身体がなくなっても二人の新しい思い出は作れるじゃないか」そう思った。またあるときは、敷き布団に寝ている里香の背中をマッサージしながら、

「私が死んだって藤本先生に言ったら、きっとびっくりするねえ」

「そらそうやろなあ」

そんな会話をした。藤本先生とはご近所の、里香が十三才からかかりつけの内科の先生だ。

「いろいろ心配されてたし、今度ご挨拶にいくよ」

「先生に会ったら、ちゃんとお礼ゆうのよ」

と里香は言った。これらの話をバーの西ちゃんに言ったら

「それって、夢なんですかねえ? 夢じゃない気がしますよ」

と真顔で言ってくれた。確かにそう言ってもらったことで少なからず励まされた。だが、これらはやはり夢に過ぎない。あの朝の出来事とは全く違っていた。

 そんな中、十月に、僕は交通事故に会った。左膝の骨折と左手首関節の複雑骨折を負った僕は、もうこの先、生きていく気力さえ、失いかけた。辞めさせてもらえない塾に、肩からのギブスを付け、松葉杖を突きながら歩いていく中、心底情けなくなって、

「里香よ。お前にダイヤモンドって言われた俺は、どこにいってもうたんや?」

とつぶやいた瞬間、

『そこにいるわよ!』

と里香の大きな声が聞こえた。頭の後ろからびっくりするくらいの大きな声で聞こえたので、辺りを見回したほどだ。これは夢とは違う。そこに里香がいることが、はっきりわかった。誰に励まされるよりもずっと力になったが、いつ声や存在に触れることができるのかは全くわからない。いつだって近くにいることを感じていたいのだが残念ながら滅多にそんなことはなかった。


 一人と一匹で過ごす淋しい冬も盛りとなり、年の瀬を迎えた。世間のクリスマスムードも年末の慌ただしい雰囲気も僕らには関係なく、淡々とときは流れていった。いつものバーで飲んでいるときに幾ばくかの季節感は感じたが、そこにはなんの興味も持てなかった。あっという間に年が明け、塾の冬期講習も2日間だけ休みになった。お正月らしい澄み切った青空を見て、たまには気分を変えてみようかと思い、W650の緑馬に跨がって西へ出かけた。真冬のツーリングは寒さがこたえる。だがそれもバイクのいいところだ。痛いくらいの冷たい空気を全身に受けてひた走る。半ば無意識に、富士山の見える大好きなコースを選んでいた。快適に空いている高速を走りながら、メットの中で独り言をつぶやいた。フフフ、里香。そろそろだぞ。もうすぐ、もうすぐ、ほら、見えた!二人同時に叫んだ。

『ふじさ~~~~~ん!!』

やっぱりな。やっぱり一緒にいたか。やっぱりいいよな。富士山は!

久しぶりに気分がよく、その日は予定よりも長いコースをとり、東名側から山中湖周辺を通って、中央道に乗って帰ってきた。


 2月になり、受験生たちの戦いも一段落ついたところで、約束通り僕は塾を辞めた。あの夏、西川さんが何故僕を辞めさせてくれなかったのか、少しわかった気がした。きっと、あの時点で仕事も辞めていたら、僕は果たしてまともに生きていただろうか。おかしなことにならないように、そういう西川さんの配慮だったのか。ようやくにして、そう思えるようになった。今回は慰留しなかったのか、というと、実は西川さんの方が僕より先に塾を辞めていた。音楽に専念するためだったと思うが、僕より一週間ほど早く、塾を去っていたのだった。

 僕とナオだけの人と会わない生活が淡々と過ぎる中、ナオは時々、宙を向いたままじっとしているようになった。寝ているのではなく、ただ何もせずに目線も動かさずにじっとしている。ありそうで、これまでにはなかったことだった。暴風雨が接近中というある午後、うちの軒の上にじっとしたまま、呼んでも降りてこない。風もだんだん強くなってきたし、雨も降り出した。いくら呼んでも聞こえているのに

「いいんだ。オレはここでいいんだ」

そう無言で言っているように、じっとしている。今までナオに感じたことのない孤高の雰囲気がそこにあった。

 そんなことがあってから、ナオはどんどん弱っていった。お医者さんに診せたところ、

「腎臓がかなり弱っていて、もうそう長くはないかもしれません」

と言われた。家猫と違って、外に出ている雄で十才といえば、寿命なのかもしれない。そこからひと月あまり、僕はナオにかかりっきりになった。目に見えて衰弱していくナオをなんとか、一日でも長く生きられるようにと懸命に介護した。何度もお医者さんに連れてゆき、対処療法だとわかっていながら点滴で栄養と水分を補ってもらった。そしてある朝、僕の布団の上で失禁したまま自分のおしっこでずぶ濡れになったナオを見た。びっくりして身体を拭いてやっていたら、全身で痙攣し始めた。

「ナオ!ナオ!」

必死で身体をさすり、呼び続けたらようやく痙攣が止まった。そのままタオルにくるんで、お医者さんに駆け込んだら

「わかりました。お預かりして最善を尽くします」

と言ってくださった。そして、やせ細って小さくなったナオの背中にいつものように点滴をして、

「でも、もう覚悟はなさっておいてください」

そう言われた。

 翌朝一番にナオに会いにいったら、先生の留守番電話と入れ違いになってしまったようで、

「電話でもお伝えしましたが、今朝の六時頃、息を引き取りました」

と言われた。

「ありがとうございました。これまで本当にお世話になって。ありがとうございました」

「いえ。お力になれず・・・あのどうされますか?」

「はい。もらって帰って、うちの庭に埋めてやりたいと思ってます」

そして、ナオの亡がらを受け取って帰った。軽くなったナオを抱きながらナオの好きだった近所の公園や空き地をみて回り、うちの周辺を一回りして我が家に戻った。うちの小さな庭の一角に穴を掘り、そして黒猫のナオによく似合う真紅のタオルにくるんで、ナオを埋めた。ナオ用のお皿に水を汲んで、お線香を上げて手を合わせた。

「ナオ。本当にありがとうな。僕らと一緒にいてくれて。ナオのお蔭で僕らは幸せだったよ。里香のお膝に乗ってゆっくりおやすみ」

その日のお昼までは、何もせず、ぼうっと過ごした。何も考えられなかった。そしてその日の午後から、いい知れない程の強烈な孤独感に、僕はつつまれていった。



2018.04.26 Glory 26

 きっと葬儀のための段取りや連絡など、いろいろの必要な事務作業は周囲の人達が助けてくださったのだと思う。そういったことの記憶がほんとんどないのだ。ただ、覚えているのは、里香の遺影の小さいサイズのものをもう一つ、来ていただくみなさんの身近なところに置いた方がいいだろう、ということになって、その額縁を買いに行ったことだ。僕が買ってきたのは親族の間で不評で、普段おとなしく、やさしい性格のおばさんにまで

「これじゃ、おしゃれな里香ちゃんに叱られるわよ」

と言われてしまった。買ったときにはいいデザインのものを選んだつもりだったのだが、そう言われてみれば、ちょっと里香のセンスではないように見えてきた。でももう日がない、どうしよう。というときに当時、額縁を専門に扱っているお店をやっていた元ミュージシャンの知り合いの存在を思い出した。彼に電話して相談してみたところ、

「なんとかしましょう」

といってくれた。もう明日にはお通夜、というタイミングだったのでかなり無理を言ってしまったが、新たに新調してもらうことになった。きっと、この他にも僕がわかっていないだけで、周囲の方のご厚意で事が進行していっている件が多々あるのだろう。申し訳ないのだが、今は僕も余裕がない。いろいろ気付かないことだらけだろうが、みなさんのお気持ちに甘えさせていただくしかない。


 いよいよ今日がお通夜、という明け方、普段通り二階のベッドで寝ていた僕は、突然、何かとてつもなく大きな変化が起きていることを感じて、目が覚めた。何がそうさせたのか、すぐにわかった。

 ああ! 里香だ! 里香がうちに来ている! なぜかそう確信した。

 下だ。下の部屋にいる! 里香、いるんだ! 帰ってきてるんだ!

「里香~~~!」

叫びながら、寝室を飛び出して階段を駆け降りた。

 ここだ! リビングにいる! 

夢中で引き戸を開けてリビングに入ったら、そこは初めて見る光の世界だった。

眩いばかりの、純白の光に満ちあふれた世界で、眩しくて光以外は何も見えない。

 なんだここは?!

勇気を出して、一歩、光の中に踏み込むと、なんと里香がその中でうずくまっていた。

一糸まとわぬ姿だったが、うずくまって何か必死になって踏ん張っている感じだ。

「里・・・・」

呼びかけようとしたが、あまりに必死に力を込めて蠢いていたので、声を飲み込んだ。

何秒経ったのか、懸命に力を込めている里香をじっと見守っていたら、突然、バ~~ッと身体を伸ばして一気に立ち上がり、大きな声で

「ふっか~~~~~つ!! 私えらい~~~?」

と言って、大得意な表情で胸を張りながら僕を見た。

「オワァ~~~。えらい、えらい!復活したなんてすごいぞ!えらい、えらい!」

里香は満面の笑顔で僕を見ている。すごいぞ。本当にすごい。里香、お前・・お前・・・

興奮し過ぎて言葉が出てこない。ここで僕が興奮したせいで、世界がバッと元の寝室のベッドに戻ってしまった。いかんいかん、興奮し過ぎだ。せっかく里香が会いに来てくれてるのに、いかん。すぐに光の世界に戻らなきゃ。必死でもう一度目を閉じたら、いきなり、また光の中に戻った。ああ、よかった!

まだそこに立って僕に微笑みかけている里香に向かって

「里香。でも、お前、復活って言っても、もう・・身体ないやん」

と言った。里香はそれには答えず、にこにこしてこちらを見ている。

「里香、あ、お前、ひょっとして・・・神様のところにいくのか?」

そう聞いたら、やや怪訝そうに首を少し傾げて微笑んだ。(私にもよくわかんない)そう心が言っている気がした。その姿が急に遠離っていき、光とともに一瞬で消え去った。

 そこはまぎれもなく、ベッドの上だった。まだ話の途中なのに。そう思って再び目を閉じてみるのだが、さっきとは全く違って現実の世界のままだ。何度試みても、もうあの感触は微塵もなかった。完全に感覚が戻ってしまって、どうあがいてもいつもの現実の殺伐とした空気感しかない。そこからは、もう普通に眠ることさえ難しいほどに、頭の中が冴え冴えとしていた。


 あまりにも不思議な出来事だが、はっきりとした確信があった。あれは夢じゃない。夢、僕の脳内で作られた映像、それとは全く別の感覚があった。夢の形態は取っているが、夢じゃない。言葉であの感覚を説明するのは難しい。しかし、里香の行動も、言葉も、全てが僕の頭の中で作られたものでは絶対にない。あれは間違いなく本物の里香だ。この話をおかあさんにした。疑うことなく、信じてくださった。それはおかあさんが敬虔なクリスチャンで、神の存在を信じる人だからではないと思う。僕の話にリアリティーを感じてのことだと思う。考えてみれば僕が聞いた里香の言葉は最初の台詞だけだ。しかし、これがとってもとっても里香らしいのだ。おかあさんも

「あああ、里香らしいわ~。私も会いたい。私にも会いに来てくれないかしら」

とおっしゃった。そうあって欲しい。しかし、あれはもうないだろう。おかあさんには申し訳ないが、あれはもう、一回切りだろう。理由はないが、そう思う。何がどうなって会いに来てくれることができたのか。里香の強い思いはあったはずだ。だが里香の力だけでできただろうか。僕は神様に感謝した。


 夕方にはお通夜が始まる。お昼すぎに病院に行って、霊安室から近くの葬儀場へ移動となる。早朝、里香が会いに来てくれたことが、僕の心に強い支えを与えてくれていた。昨日までの空虚な感覚が薄くなり、いつもの自分に近い感じを取り戻しつつあった。軽い昼食をすませて、喪服を持っておかあさんと病院の霊安室に行った。

 葬儀会社の人が、今日の予定を説明してくれた後、彼の主導で棺の中の遺体に衣装を着せてあげる、一種のセレモニーみたいなことをやった。六文銭の絵を描いた布を襟に沿って付けてあげ、「本物の硬貨だと火葬のとき不具合がどうたらこうたら・・・」などの決まり文句を黙って聞いていたが、どうもこういうときに笑いが込み上げてくるのは、関西人の悪い性なのだろうか。笑ってはいけない、という空気がかえって笑いを誘う、ということは昔からお笑い番組の定番シチュエーションとして使われて来たが、葬儀社の人が流暢にしゃべればしゃべるほど、いかんとわかっていながら、笑いの方に考えが走ってしまう。そのピークが頭にあの三角の白い奴を付けるときにやってきた。エ~~?ほんとにこれ付けとくの?と思ったら、プッと一瞬吹いてしまった。そのとき、

『ア~~~私の身体に何するのよ~~~!』

という里香の笑い声がした。ハッハッハ。そうだよな。僕らの世代にとって、この格好はコントでしか見たことがない。こりゃギャグにしか見えんよな。そこで、申し訳ないが彼に掛け合ってみた。

「あの、六文銭はいいんですけど、この・・三角のはちょっと本人のセンスと違う気がするんですが・・・これなしでもいいですか?」

「あ。はい。そうですね。では、これはなしで」

と、割とあっさり了解してくれた。というより、そういう要望は結構多くあって、対応してますよ、的な感じがした。何はともあれ、まあ一安心だ。


 葬儀会場は僕の予想より一回り大きな部屋だった。お年寄りが亡くなった場合と違って何せ里香は若い。現役世代なのであんまりこじんまりした部屋で入りきれない事態になると、お客様に迷惑をかけてしまう。多くの方が来てくださる予定だったのでこれは助かった。準備を淡々と進める中、さっき霊安室で聞こえた里香の声がずっと心に残っていた。昨日まではなかったことだ。里香はこの場にいるんだ。一緒に見てるんだ。そう思ったが、それを意識すると消えてしまうような気がして、あまり考えないようにつとめて自然に振る舞った。そこへ、頼んでいた額縁が届いた。夜を徹して作ってくれたようで、素晴らしいものだった。これならみんな納得だ。急なオーダーにも関わらず、心を込めて作ってくれたことに感謝した。

 お通夜に先立って、山内さんが最後のメイクにきてくれた。アシスタントの女性を伴っていつもの格好で現れた彼は、ひょうひょうとした雰囲気を崩さず、プロとしての仕事をしてくれた。彼だって二十代の頃からの付き合いだ。悲しみは人知れずあるだろうに、全くそんなそぶりは見せなかった。仕事を終えた彼は

「純さん。このパフとかブラシとかもう使えないし、里香さんのためにお棺に入れて上げて」

と言って、今日使った道具を僕にくれた。

「なんだか、最後まで面倒みちゃったなあ」

宙を見ながらそういう彼の横顔に、彼なりのお別れの気持ちを感じた。そして心からのお礼を言った。

 親族はじめ、リョウさんや至が助けてくれているお蔭で、滞りなく準備が進み、いよいよお通夜の式典が始まった。喪主の僕は動き回ることなく、一番目立つ席でじっとしているのが役目だ。その席に座ろうとしたとき、里香の一番の親友だった由里ちゃんとお姉さんが一緒にやってきてくれた。由里ちゃんはお姉さんの後ろでずっと泣いている。お姉さんが代わりに話し始めて

「純さん、本当にご愁傷様です。由里がね、里香ちゃんと仲直りできないで死んじゃったってずっと泣いてるの。自分が意地張ってたから、会えなかったって、もう泣いて泣いて・・・」

由里ちゃんは子供のように大泣きしている。

「ごめんなさ~い。私が悪かったの・・・。里香ちゃ~ん・・・会いたかったよ~・・・ア~~~ン・・」

それ以上、言葉にならなかった。泣きじゃくる彼女に伝えたかった。

「由里ちゃん、ごめん。僕がもっと気を回してれば、会えたんだけど・・。僕のせいなんや。里香はね、一回倒れて、生き返ってからみんな忘れちゃったみたいで、由里ちゃんのことなんにも怒ってなかったよ。由里ちゃんに会おうよって僕がもっと早くに言ってればよかったんだけど。だからね、僕が悪いんや。ごめんね、由里ちゃん」

泣き止む気配もなく、お姉さんに抱えられていた姿が心に突き刺さった。一番の親友とこんな別れ方だなんて、本当に僕の判断ミスだ。申し訳ない気持ちで一杯になった。


 たくさんの方が来てくださった。一人一人、すべての方と目を合わせてからお辞儀をした。遠方から駆けつけてくださった方も大勢いた。棺のふたを開けて対面した人は、みな声を上げて泣いている。棺の前で膝をついて泣き崩れる人もいる。みんな泣いてるじゃないか。バカだな。誰も泣かないだなんて言って。

『でへへ。ごめんなさい』

こんなに人を悲しませる儀式をやっていて本当にいいのだろうか。そんな素朴な疑問が湧いてくるほど、多くの方が里香の死を悼んで泣いてくださった。


 その夜の段取りをどうやって終えたのか、よく覚えていない。うちに帰ってから、明日の告別式についておかあさんと話したとき、

「明日の式の最後は喪主があいさつですよね。僕、なんて話したらいいんだろう」

という僕に、おかあさんは

「おれ流でいいのよ。純ちゃんの言葉で、純ちゃんらしく話せば、大丈夫よ」

と言ってくださった。まあ、元より儀礼的な慣用句を言うのは苦手だし、それをやろうとしてもきっと失敗するだろう。おかあさんのお墨付きをもらったから、思うようにやってみるか。台本なんてなし。出たとこ勝負だ。


 お通夜と違って、告別式はフリーな形で亡がらと対面するシーンはほぼない。お坊さんの読経を中心に参列者のご焼香と一定のプログラムが進行していく中、すすり泣く声があちこちで聞こえるものの、おとなしくことが運ばれていった。来てくださった方の数は昨日を大きく上回り、僕の席から見ると、あふれかえっている感じだ。夏の暑い最中に、こんなにつめかけてくださって、ありがたい気持ちで一杯になった。そして最後の方のご焼香も終わり、葬儀社の司会の人が、

「最後にあたり、喪主小林 純から、ご参列いただきましたみなさまに、ご挨拶を申し上げます」

と告げた。これだけのたくさんの方の前で、しかもみなさんが食い入るようなまなざしで僕を見ている。緊張しない方がおかしいが、自分の緊張感は予想以上だった。


「みなさま。本日は妻の里香の葬儀にご参列いただき、誠にありがとうございます」

一礼をして、一度深呼吸をした。

「数日前、夜中の日付が変わる頃、入院先の院内で、里香は急に容態が変わって、懸命の救命治療むなしく、息を引き取りました。

 知り合って十八年、結婚して十六年。もっともっと一緒に暮らしたかったのですが、その願いはかないませんでした。しかし、今でも里香は、僕の奥さんであり、そして僕の自慢の彼女です。

 昨年の十一月に身体の変調を訴えて、入院したのですが、その院内で肺動脈に血栓がつまって心肺停止を起こして倒れました。幸いにも病院内であったので、救急の措置が早く、命を取り留めました。生死の境をさまよった訳ですが、その後の懸命の治療によって、大きな障害もなく、どんどん回復していってくれました。途中に大きな手術をはさんで、三月の頭には、待望の退院を果たし、自宅に戻ってくることになりました。その後は、自宅からの通院でリハビリを続けながらの療養だったのですが、この間、僕たち夫婦は、とてもたくさんの大切なことを学びました。命の尊さ、人の善意のありがたさ、家族の愛、生きていることの歓び、感謝の気持ち。里香が倒れたことで本当に実感を持ってそれらのことを学べました。僕も小さな弱い人間です。実際に自分の連れ合いがこんなことになって、初めて、当たり前の大事なことに気が付きました。里香だって同じです。そして、車イスだったり、手を引いてだったり、二人で家の近所をゆっくり歩いて、こんなにたくさんの花が咲いてるのか、鳥や虫やいろんな命がこんなにたくさん生きてるのか、って気付きました。二人で一緒にそういうことに気付けたことは、本当に幸せでした」

 誰もがしわぶき一つせず、僕の話に聞き入ってくださった。みなさん、真剣な目をしていた。その中に、僕の師匠もいた。誠実な人柄の先生は、僕らの仲人でもあり、ご夫妻揃って、いつも僕らのことを気にかけていてくださった。お二人がどれだけ、里香の容態を心配されていたことか。僕の話を神妙な面持ちで聞いておられる姿に、改めて先生のありがたさを感じた。

「里香は、身体も大きいし、また自分の筋肉を鍛えることが好きでしたから、はっきり言って女性とは思えないほど、強い身体を持っていました。反面、若い頃から重度の病気を抱え、いつもお医者さんにかかりながらの人生でもありました。彼女は人前で苦しいことやつらいことを言わないので・・・まあ、心を許せる相手には愚痴もたくさん言ってたようですが、普通に見れば、いつも元気一杯、駆け回っていたイメージだったんじゃないでしょうか。根性もありましたしね。でも、今は、僕の中では、こう、薬の袋をつまんで持って、両手でバランスを取りながら、うちの中をひょこひょこ歩いていた姿が、愛おしい・・・。そういう彼女の繊細で壊れやすい一面も知っておいてやってください。

 それから里香は、本当に読書好きで、また音楽や絵画はもとより、たくさんの芸術に親しんでいました。また、ジャンルを問わず、いろんなことに興味を持ち、びっくりするほどたくさんのことを知っていました。それはもう、芸術全般、歴史、文化、風俗、土木、建築から街作りまで。これは大袈裟じゃなくて、本当なんです。僕の学生時代の仲間で都市計画を専門にやっていた奴がうちに遊びにきたとき、里香の話を聞いて、「おまえのカミさんの見識には驚くわ。どこで勉強したんや?」って言ってました。そして、今日、こんなにたくさんのみなさんにおいでいただいたのですが、そのための連絡先を知りたくて、里香の手帳を見たんです。そこには、もうびっくりするほどの本や映画や音楽なんかのリストがあって、その何割かには「J」のマークが付いていました。これ、僕にいいものを教えようとしていたんです。里香は、インプットはすごいんです。でも自分ではお琴を弾くこと、唄を歌うこと、絵を描くことしかアウトプットできない。口下手だったんで、上手に人に語るのは苦手でした。琴と唄は再生芸術なんで、何か新しいものを表現することに関しては、きっと、作曲したり、文章を書いたりする僕に託してたんだと思います。実際、里香がヒントをくれて書いた曲は何曲もあります。だから、僕らは共同作業なんです。ですから、これからは、僕の作曲した曲を聴いて、もし少しでもいいな、と思ってくださったときには、僕の分と一緒に、里香の分も拍手してやってください」

一人の人が拍手をしてくれた。たくさんの人ではなく、ただ一人だったのは、僕の曲がまだまだ知られていないということで、これから頑張れ、ということだな、と思った。しかしその拍手は長く続き、一人だったことで、かえってその人の強い意志を感じさせた。拍手の主はつのだみかさんだった。

「それではみなさん。今日は本当にありがとうございました」

そこで話していた位置から、棺の方へ移動した。そこにはリョウさんが立って待っていた。棺を乗せたストレッチャーをみんなで押して外へ運ぶのだ。その前に至とリノ夫妻に買って来てもらっていた森永マミーを受け取った。僕は一口サイズのものをイメージしていたのだが、それは紙パックのかなりでかいものだった。あわわわ、こりゃでかい、と思ったが、まあいい。こんなのが最後に来るのも里香らしくて面白い。紙パックの口が開けにくかったがモタモタしている時間はない。強引に開けて、一口だけ口に含み、(ここでゴックンと飲み込んで「飲んでもた!」とやると大阪なら突っ込みが入ってギャグとして成立するが、東京ではやはり難しいだろう。やってみたい気持ちをこらえて)里香に口移しで飲ませてやった。最後の約束だ。数日間ドライアイスづけだった里香の唇は予想以上に冷たく、固かった。そして、参集のお客様を見渡した。棺を押す人をもう少し呼びたかったのだが、そこで昔からの友人、田中太の姿がやたら目についた。彼がひと際長身だということもあるが、なにか里香が彼を呼んでいる気がした。太は里香と仲が良かったから、きっとそうなんだと思う。手招きしたが

「え?おれ?」

という反応。いいから来いよ。そう思いながら再度呼び込んだ。彼の他にも数人やってきてくれて、僕、リョウさん、至夫妻を含めてみんなで棺のまわりに立った。

「では。みなさん。最後は舞台の人間らしく、拍手で送ってやってください!」

今度は満場の拍手が起こった。一生懸命に叩いている人もたくさんいる。大きな拍手に囲まれて、ふたを閉じた棺を押していった。真ん中あたりで、顔の部分のドアを開けて上から覗き込み、

「ほら、聞こえるやろ。みんな拍手してくれてるぞ」

そう言った。



2018.04.23 Glory 25

 どうやって、深夜の病院からうちにもどったのか、思い出せない。さらにその午前中のことも全く覚えていない。記憶はその日の午後からだった。お兄ちゃんをはじめ、親族や友人にも連絡をしたはずなのだが、その記憶がない。午後以降に連絡した人とのやりとりはよく覚えているのだが、どうにも午前中のことが思い出せないのであった。午後、病院から、里香が霊安室に移動されたと連絡があり、おかあさんとともに病院へ行った。案内された部屋は思ったより大きく、ここにしばらく安置されていくのは、変な話だがちょっと贅沢な感じもした。解剖にあたったという先生がいろいろ説明をしてくださったが、細かいことはあまりよく覚えていない。ただ、徹底的にやってもらったそうで、開頭もしたと聞いた。だとすると葬儀のとき、あまりに痛々しい姿なのではないか、そうなると参列される方にもお見せしたくないし、その旨、正直に聞いてみたら、

「はい。大丈夫です。特に女性ですし、その点は配慮したつもりです」

とおっしゃった。ただ、どこまで配慮が行き届いているかは、見てみないとわからない。その先生が引き上げてから係の人が遺体との対面をさせてくれた。そこでやっと安心したのだが、さっきの心配は無用だった。解剖の痕跡は全くみえなかったし、実にやすらかないい顔をしてくれていた。里香の美学からいって、最後はやはりきれいでなければいかんだろう。そう思った。そして、このときから、気が付いたのだが、実は自分の心の中で変な作用が働いていた。涙が込み上げようとすると、とたんにブレーキがかかるのだ。自分では涙をこらえようとしている意識はまったくない。ただ悲しみが心の中で盛り上がろうとすると7割くらいのところでフッと消えてしまうのだ。何か機械的なリミッターがかかっているような不思議な感覚だ。自分だけの現象なのか、おかあさんにも確かめてみたい気がするが、なぜか言い出せなかった。


 最初に弔問に来てくれたのはリョウさんだった。飛んで来てくれたのだろう。その気持ちがうれしかった。

「とにかく、まず里香さんに会わせて。お顔を見させて」

そういう彼を棺に誘って、そばで対面を見ていた。震える手で顔にかけられた布を上げて、里香を見た瞬間、

「里香さん・・・・」

といって手が止まった。リョウさんの大きな目から大粒の涙がポタポタと落ちた。唇が震えていた。

そして、布を元に戻して肩を震わせながら手を合わせてゆっくりと頭を下げた。僕の方に向き直って

「純ちゃん・・・・」

と言ったがそれきり言葉がなかった。

「リョウさん、ありがとうね。何も言わなくていいよ。気持ちはよくわかってる。里香も感謝してるよ。ありがとうね」

 こういうときは来てくれた人もなんといっていいか難しいだろうけれど、こちらもなんと説明したらいいのか難しい。お気持ちに感謝していることだけは素直に伝えたい。しかし、想定外の突然のできごとだけに、いろいろ言わなきゃいかんように思ってしまうが、言葉にすればするほど、何かズレていくような気がして話しにくくなるのだった。まあ、気心のしれたリョウさんだから彼の場合は余計な言葉はいらない。しかし、そのあとにぞくぞくと訪れてこられた弔問の方達には、やはり気を使わざるを得なかった。

 

 気が付いたら何時間かが過ぎ、その部屋を出たら、もう日が落ちかけていた。そこから、お世話になったお礼を言いたくて婦人科のナース・ステイションに向かった。夕方の忙しい時間帯なので、長居は無用だし、考えてみたら僕にいろいろ話されるのも先方としては返答に困るかもしれない。僕としては、里香が大好きだったここのスタッフの方にそれをお伝えしたいのと、一言お礼を言わせていただければ、それでよかった。婦人科に上がってみると、そこで里香と同室だったという僕らより少し年配の女性を紹介された。この方が病室で倒れた里香を最初に見つけてくださったのだそうだ。まず、そのことに心からお礼を申し上げた。絵本の作家さんだというその方は、昨日の午後から晩までのことをていねいに教えてくださった。

「とにかくよくお話しされてましたよ。ご自分のこともご主人さまのことも。目がキラキラ輝いててね。何時間おしゃべりしたかしら。なにかとってもうれしいことがあったみたいで、少しはしゃいでいらしたかなあ~。ご夫婦でお琴と尺八の演奏家でいらして、ご主人さまが作曲もされてるとか、塾で生徒さんを教えておられるとか、もう、すごい勢いでたくさん話しておられました」

「そうでしたか。お相手していただいて、ありがとうございます」

「いえいえ、私もとっても楽しかったし、負けずに話してましたから。私のことも随分と聞いていただきましたよ」

「あいつ、絵が好きで本も大好きだから、専門家の方相手にいろいろ得意になって自分の好みとか言ってたんじゃないですか?」

「ええ、もうそんな話も一杯。ケルトの古い絵本をたくさん持ってらっしゃるとかね。私も大好きな話題なので時間の経つのも忘れて二人で盛り上がってました。それでね。夜の消灯時間になってね。お二人のお友達の方がテレビに出るから見たいっておっしゃってナース・ステイションに掛け合って、テレビをここに持ってきてもらったんです」

「あ~、またわがまま言って。でもまあ、あいつらしいな」

 テレビに出ていた人とは、僕らの古くからの友人でアドゥンというタイ人のことだ。彼は日本で活動するミュージシャンであり、また俳優でもある。いろんな才能の持ち主で、またとっても人間性のいい好男児であり、里香も彼のことは大好きだった。その彼が夕べ、深夜枠のテレビに出ていたのだ。

「それで、テレビのイヤフォンの音が小さいからもうちょっと大きくする、といってベッドからテレビの方へ行かれたときに、ドタッて音がして、あわてて見たら床に倒れてしまわれてて、びっくりしてナースコールしたんです」

「倒れてどうなったんですか? そこでまだ意識はあったんでしょうか?」

「さあ、そこはよくわかりませんが、呼びかけても反応がなくて、ただ、ヒュー、ヒューって息が聞こえてました。すぐに看護師さんたちが駆けつけてこられて、私はもうお任せするしかなくて」

「それは本当にありがとうございます。感謝しております」

そこへスタッフの方が彼女の夕食を運んできた。僕がここに長居するのは、やはり野暮だろう。ここは感謝の気持ちをお伝えして立ち去ることにしよう。でもお会いできてよかった。この方と仲良しになって、夢中でおしゃべりしていた里香のようすが目に浮かんだ。

「最後のお友達になってくださって、本当にありがとうございました」

とお礼を言ったら、両手で口をおさえて何もおっしゃらず、頭を下げられた。彼女の目から涙が二粒こぼれた。


 帰宅後、たくさんの方からお電話をいただいた。またこちらからもたくさん電話をかけた。みなさん、突然のことでびっくりされていた。元気になっていると聞いていたのに何故?という反応ばかりだった。僕も何故かはわからない。なんと説明したらいいのかわからぬまま、ただ葬儀の日程が思ったよりも遅く、五日後にお通夜、六日後に告別式という段取りになったことは伝えなければならない。それをお伝えすることが、何を言っていいのかわからない状態の中でわずかながらの助けになっていた。しかし、もう7月なのであまり日を置かないものと思っていたが、予定が混み合っているのか意外に遅い気がした。今は冷却の技術も進歩しているのか、などと、いらぬことを考えたりして、現実の悲しみから逃れようとしているのか、なんだか自分の気持ちがよくわからないのだった。ただ、悲しみが途中でストップしてしまうあの変な感覚だけがリアルにくり返されていた。


 それから数日、何人もの方が弔問に来られ、みなさんに挨拶をして少しお話をしてお礼を言い、そうやって日が過ぎていった。その間に親族も集まってきた。里香が小さい頃から可愛がっていただいたおじさん、おばさん達。仲のよかったいとこ達。そしてお兄ちゃんとアデラ。みなさん悲しみにくれ、そしておかあさんのことを気遣っておられた。大阪から僕の家族もやってきた。空気の読めない父は(僕の野暮さは父譲りのようだ)、失意の中、言葉少なになっているみなさんを置いて、病院の対応がまちがってないのか、と大きな声で言い放った。僕はそんなことはないと思っているし、感謝している。里香はあの病院が大好きだった。そして最初に倒れたとき、助けていただかなかったら、この七ヶ月はなかったのだ。第一、そんなことを今言ってどうするというのだ。里香はもう帰って来ないのだ。みんなが気を使っている中、おとなしくしていてもらいたいので、僕なりに父を諫めたのだが、聞く耳を持つ性格ではない。さらにナオのことを

「黒猫は縁起が悪いから捨ててこい」

などと暴言を吐く。我が父親ながら、嫌になったが、どうやら母と弟が、浮きまくっている父を陰で抑えてくれたようで、それからは特に何も言わなくなった。

 しばらくお付き合いの途絶えていた方にも連絡をしなければいけなかった。そこで里香の手帳を見て連絡先を調べることにした。できるだけ、里香のプライベートに立ち入りたくはないので、余計なところは見ないようにして連絡帳の部分を追っていくつもりだったが、それでも目に入ってしまうものもあった。そこで気が付いたのだが、気に入った本や映画や音楽をリストアップしてある中で、いくつかには「J」のマークが付いている。初めは何だろうと思ったが、すぐにいくつか思い当たるものを見つけた。僕に勧めよう、教えようと思ったものに「J」マークを付けていたのだ。その数の多いこと! 普段からいろいろ教えてくれるとは思っていたが、まだまだたくさん僕の知らない「J」マークがあった。そうか。いつも僕に教えてくれようとしていたのか。そう思うと涙が込み上げてきたが、やはり寸前でストップがかかる。まあ、この現象もいつか消えるだろう。今は特別の状態なんだ。そう自分に言い聞かせた。

 連絡先を調べる作業で思い出したのだが、里香が以前、

「渋谷にすごく気に入ったバーがあるの。そこの人達とは話が合うんだ~」

と言ったことがある。

「へえ。俺にも教えてよ」

と言ったら

「うううん。あそこは純には教えない。なんでもかんでも純と一緒に共有してなきゃいけないって訳でもないでしょ。そこでは結婚してるとは言ってあるけど、旦那は連れて来ないっていってるの。自分だけの大事な場所にしたいんだ。いいでしょ?」

と言う。

「いいよ。自分だけの大事な場所があるっていうのはいいことやと思うよ。でもそのお店で俺の悪口とか言わんといてな」

「そんなこと言わないわよ。そんなちっちゃい女じゃないの。でも秘密にしておくのは嫌なんだ。きっと純ならいいって言うと思って打ち明けてみたの」

そんなことを言っていた。そのバーのお仲間達は、きっと去年の秋に倒れたことも、その後のことも知らないだろう。そしてもちろん里香が亡くなったことも。なんとかお知らせしたいと思って、手がかりを探したのだが、いくら探してもわからなかった。でも、いいか。最後まで自分の大事な、僕には教えないところがあっても。きっとみんなで、「最近来ないねえ」とか、「どっかに引っ越しでもしたのかもよ」なんて言ってるんじゃないかと思う。それでいいじゃないか。ふっと現れなくなって風のように去っていく。それも里香らしいだろう。悲しい知らせをわざわざ届けることもない。


 そんな中、ある晩、里香の中学と高校の同級生から、電話が入った。僕もよく知っている子だ。お昼におかあさんと電話で長く話したそうだが、改めて僕にかけてきてくれた。いろいろお話したが

「コリ(里香の独身時代のあだ名)は、純さんのこと、本当に愛してましたよ。ダイヤモンドだって」

「え?僕のこと?」

「お二人が結婚するとき、私が婚約指輪の話を聞いたら、今はお金がないから指輪もないって言って、私がそんなの嫌じゃないの?って言ったら、いいんだって、純が私のダイヤモンドなの、って言ってました」

という会話が心に残った。そんなこと言っとったのか。彼女は僕より遥かに昔から里香を知っている。仲のよい友達だったから、打ち解けていろいろお互いのことも話し合っていただろう。僕の知らない里香をまたひとつ知ることができた。昼間、一杯泣いたから今は泣かずに話せる、と言っていた彼女に心からお礼を言った。


 この数日、たくさんの方とお話をした。泣きながら電話をくれた人もたくさんいた。落ち着いて話してくれて、懸命に励まそうとしてくださった人も何人もいた。ありがたいと感謝していた。しかし、何か自分の感情が糸の切れた凧のようにフラフラとして、どこに向かおうとしているのかわからないままだった。悲しみのどん底にあるなら、その方がまだはっきりしていていいのかもしれない、とさえ思えるほど、心が宙に浮いたままなのだ。悲しい。悲しいのだが、そこに停まることも許されず、いつも空回りしてしまう。果たして僕は本当に人間らしい顔をしているのだろうか?人間らしい表情を奪い取られたのではないか?そう思って鏡を見ても、いつもと変わりない自分がそこにいるだけだった。だとしたら、僕はなんなんだ。里香を失ったというのに、悲しい顔すらしていないのか? ただおかあさんが親戚のみんなに

「純ちゃんは、里香とずっと一緒にいるっていうのよ。一緒にいる感じがするって」

と言っていたのは覚えている。確かにいなくなった、という感じがしないと思っていた。だがそれも確信めいたものだったのかどうかわからない。自分の願望がおかあさんに向かってそう言わせていたのだろうか。そうだとも、そうでないとも言えない。ただ、生まれて初めて味わうカサ付いた空虚感の中に自分が埋没しているのはわかっていた。悲しみに身を委ねることもできず、地に足が付かないまま、宙を彷徨った状態で自分を見失っていくのか。里香、教えてくれ。僕はどうしたらいいんだ。昔からやることが派手な女だったが、何も死ぬことはないじゃないか。だから、なあ、里香。戻ってきて、いつもみたいに教えてくれよ。僕はこれから、どうやって、なんのために生きていったらいいんだ。 なあ、里香。