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2018.04.26 Glory 26

 きっと葬儀のための段取りや連絡など、いろいろの必要な事務作業は周囲の人達が助けてくださったのだと思う。そういったことの記憶がほんとんどないのだ。ただ、覚えているのは、里香の遺影の小さいサイズのものをもう一つ、来ていただくみなさんの身近なところに置いた方がいいだろう、ということになって、その額縁を買いに行ったことだ。僕が買ってきたのは親族の間で不評で、普段おとなしく、やさしい性格のおばさんにまで

「これじゃ、おしゃれな里香ちゃんに叱られるわよ」

と言われてしまった。買ったときにはいいデザインのものを選んだつもりだったのだが、そう言われてみれば、ちょっと里香のセンスではないように見えてきた。でももう日がない、どうしよう。というときに当時、額縁を専門に扱っているお店をやっていた元ミュージシャンの知り合いの存在を思い出した。彼に電話して相談してみたところ、

「なんとかしましょう」

といってくれた。もう明日にはお通夜、というタイミングだったのでかなり無理を言ってしまったが、新たに新調してもらうことになった。きっと、この他にも僕がわかっていないだけで、周囲の方のご厚意で事が進行していっている件が多々あるのだろう。申し訳ないのだが、今は僕も余裕がない。いろいろ気付かないことだらけだろうが、みなさんのお気持ちに甘えさせていただくしかない。


 いよいよ今日がお通夜、という明け方、普段通り二階のベッドで寝ていた僕は、突然、何かとてつもなく大きな変化が起きていることを感じて、目が覚めた。何がそうさせたのか、すぐにわかった。

 ああ! 里香だ! 里香がうちに来ている! なぜかそう確信した。

 下だ。下の部屋にいる! 里香、いるんだ! 帰ってきてるんだ!

「里香~~~!」

叫びながら、寝室を飛び出して階段を駆け降りた。

 ここだ! リビングにいる! 

夢中で引き戸を開けてリビングに入ったら、そこは初めて見る光の世界だった。

眩いばかりの、純白の光に満ちあふれた世界で、眩しくて光以外は何も見えない。

 なんだここは?!

勇気を出して、一歩、光の中に踏み込むと、なんと里香がその中でうずくまっていた。

一糸まとわぬ姿だったが、うずくまって何か必死になって踏ん張っている感じだ。

「里・・・・」

呼びかけようとしたが、あまりに必死に力を込めて蠢いていたので、声を飲み込んだ。

何秒経ったのか、懸命に力を込めている里香をじっと見守っていたら、突然、バ~~ッと身体を伸ばして一気に立ち上がり、大きな声で

「ふっか~~~~~つ!! 私えらい~~~?」

と言って、大得意な表情で胸を張りながら僕を見た。

「オワァ~~~。えらい、えらい!復活したなんてすごいぞ!えらい、えらい!」

里香は満面の笑顔で僕を見ている。すごいぞ。本当にすごい。里香、お前・・お前・・・

興奮し過ぎて言葉が出てこない。ここで僕が興奮したせいで、世界がバッと元の寝室のベッドに戻ってしまった。いかんいかん、興奮し過ぎだ。せっかく里香が会いに来てくれてるのに、いかん。すぐに光の世界に戻らなきゃ。必死でもう一度目を閉じたら、いきなり、また光の中に戻った。ああ、よかった!

まだそこに立って僕に微笑みかけている里香に向かって

「里香。でも、お前、復活って言っても、もう・・身体ないやん」

と言った。里香はそれには答えず、にこにこしてこちらを見ている。

「里香、あ、お前、ひょっとして・・・神様のところにいくのか?」

そう聞いたら、やや怪訝そうに首を少し傾げて微笑んだ。(私にもよくわかんない)そう心が言っている気がした。その姿が急に遠離っていき、光とともに一瞬で消え去った。

 そこはまぎれもなく、ベッドの上だった。まだ話の途中なのに。そう思って再び目を閉じてみるのだが、さっきとは全く違って現実の世界のままだ。何度試みても、もうあの感触は微塵もなかった。完全に感覚が戻ってしまって、どうあがいてもいつもの現実の殺伐とした空気感しかない。そこからは、もう普通に眠ることさえ難しいほどに、頭の中が冴え冴えとしていた。


 あまりにも不思議な出来事だが、はっきりとした確信があった。あれは夢じゃない。夢、僕の脳内で作られた映像、それとは全く別の感覚があった。夢の形態は取っているが、夢じゃない。言葉であの感覚を説明するのは難しい。しかし、里香の行動も、言葉も、全てが僕の頭の中で作られたものでは絶対にない。あれは間違いなく本物の里香だ。この話をおかあさんにした。疑うことなく、信じてくださった。それはおかあさんが敬虔なクリスチャンで、神の存在を信じる人だからではないと思う。僕の話にリアリティーを感じてのことだと思う。考えてみれば僕が聞いた里香の言葉は最初の台詞だけだ。しかし、これがとってもとっても里香らしいのだ。おかあさんも

「あああ、里香らしいわ~。私も会いたい。私にも会いに来てくれないかしら」

とおっしゃった。そうあって欲しい。しかし、あれはもうないだろう。おかあさんには申し訳ないが、あれはもう、一回切りだろう。理由はないが、そう思う。何がどうなって会いに来てくれることができたのか。里香の強い思いはあったはずだ。だが里香の力だけでできただろうか。僕は神様に感謝した。


 夕方にはお通夜が始まる。お昼すぎに病院に行って、霊安室から近くの葬儀場へ移動となる。早朝、里香が会いに来てくれたことが、僕の心に強い支えを与えてくれていた。昨日までの空虚な感覚が薄くなり、いつもの自分に近い感じを取り戻しつつあった。軽い昼食をすませて、喪服を持っておかあさんと病院の霊安室に行った。

 葬儀会社の人が、今日の予定を説明してくれた後、彼の主導で棺の中の遺体に衣装を着せてあげる、一種のセレモニーみたいなことをやった。六文銭の絵を描いた布を襟に沿って付けてあげ、「本物の硬貨だと火葬のとき不具合がどうたらこうたら・・・」などの決まり文句を黙って聞いていたが、どうもこういうときに笑いが込み上げてくるのは、関西人の悪い性なのだろうか。笑ってはいけない、という空気がかえって笑いを誘う、ということは昔からお笑い番組の定番シチュエーションとして使われて来たが、葬儀社の人が流暢にしゃべればしゃべるほど、いかんとわかっていながら、笑いの方に考えが走ってしまう。そのピークが頭にあの三角の白い奴を付けるときにやってきた。エ~~?ほんとにこれ付けとくの?と思ったら、プッと一瞬吹いてしまった。そのとき、

『ア~~~私の身体に何するのよ~~~!』

という里香の笑い声がした。ハッハッハ。そうだよな。僕らの世代にとって、この格好はコントでしか見たことがない。こりゃギャグにしか見えんよな。そこで、申し訳ないが彼に掛け合ってみた。

「あの、六文銭はいいんですけど、この・・三角のはちょっと本人のセンスと違う気がするんですが・・・これなしでもいいですか?」

「あ。はい。そうですね。では、これはなしで」

と、割とあっさり了解してくれた。というより、そういう要望は結構多くあって、対応してますよ、的な感じがした。何はともあれ、まあ一安心だ。


 葬儀会場は僕の予想より一回り大きな部屋だった。お年寄りが亡くなった場合と違って何せ里香は若い。現役世代なのであんまりこじんまりした部屋で入りきれない事態になると、お客様に迷惑をかけてしまう。多くの方が来てくださる予定だったのでこれは助かった。準備を淡々と進める中、さっき霊安室で聞こえた里香の声がずっと心に残っていた。昨日まではなかったことだ。里香はこの場にいるんだ。一緒に見てるんだ。そう思ったが、それを意識すると消えてしまうような気がして、あまり考えないようにつとめて自然に振る舞った。そこへ、頼んでいた額縁が届いた。夜を徹して作ってくれたようで、素晴らしいものだった。これならみんな納得だ。急なオーダーにも関わらず、心を込めて作ってくれたことに感謝した。

 お通夜に先立って、山内さんが最後のメイクにきてくれた。アシスタントの女性を伴っていつもの格好で現れた彼は、ひょうひょうとした雰囲気を崩さず、プロとしての仕事をしてくれた。彼だって二十代の頃からの付き合いだ。悲しみは人知れずあるだろうに、全くそんなそぶりは見せなかった。仕事を終えた彼は

「純さん。このパフとかブラシとかもう使えないし、里香さんのためにお棺に入れて上げて」

と言って、今日使った道具を僕にくれた。

「なんだか、最後まで面倒みちゃったなあ」

宙を見ながらそういう彼の横顔に、彼なりのお別れの気持ちを感じた。そして心からのお礼を言った。

 親族はじめ、リョウさんや至が助けてくれているお蔭で、滞りなく準備が進み、いよいよお通夜の式典が始まった。喪主の僕は動き回ることなく、一番目立つ席でじっとしているのが役目だ。その席に座ろうとしたとき、里香の一番の親友だった由里ちゃんとお姉さんが一緒にやってきてくれた。由里ちゃんはお姉さんの後ろでずっと泣いている。お姉さんが代わりに話し始めて

「純さん、本当にご愁傷様です。由里がね、里香ちゃんと仲直りできないで死んじゃったってずっと泣いてるの。自分が意地張ってたから、会えなかったって、もう泣いて泣いて・・・」

由里ちゃんは子供のように大泣きしている。

「ごめんなさ~い。私が悪かったの・・・。里香ちゃ~ん・・・会いたかったよ~・・・ア~~~ン・・」

それ以上、言葉にならなかった。泣きじゃくる彼女に伝えたかった。

「由里ちゃん、ごめん。僕がもっと気を回してれば、会えたんだけど・・。僕のせいなんや。里香はね、一回倒れて、生き返ってからみんな忘れちゃったみたいで、由里ちゃんのことなんにも怒ってなかったよ。由里ちゃんに会おうよって僕がもっと早くに言ってればよかったんだけど。だからね、僕が悪いんや。ごめんね、由里ちゃん」

泣き止む気配もなく、お姉さんに抱えられていた姿が心に突き刺さった。一番の親友とこんな別れ方だなんて、本当に僕の判断ミスだ。申し訳ない気持ちで一杯になった。


 たくさんの方が来てくださった。一人一人、すべての方と目を合わせてからお辞儀をした。遠方から駆けつけてくださった方も大勢いた。棺のふたを開けて対面した人は、みな声を上げて泣いている。棺の前で膝をついて泣き崩れる人もいる。みんな泣いてるじゃないか。バカだな。誰も泣かないだなんて言って。

『でへへ。ごめんなさい』

こんなに人を悲しませる儀式をやっていて本当にいいのだろうか。そんな素朴な疑問が湧いてくるほど、多くの方が里香の死を悼んで泣いてくださった。


 その夜の段取りをどうやって終えたのか、よく覚えていない。うちに帰ってから、明日の告別式についておかあさんと話したとき、

「明日の式の最後は喪主があいさつですよね。僕、なんて話したらいいんだろう」

という僕に、おかあさんは

「おれ流でいいのよ。純ちゃんの言葉で、純ちゃんらしく話せば、大丈夫よ」

と言ってくださった。まあ、元より儀礼的な慣用句を言うのは苦手だし、それをやろうとしてもきっと失敗するだろう。おかあさんのお墨付きをもらったから、思うようにやってみるか。台本なんてなし。出たとこ勝負だ。


 お通夜と違って、告別式はフリーな形で亡がらと対面するシーンはほぼない。お坊さんの読経を中心に参列者のご焼香と一定のプログラムが進行していく中、すすり泣く声があちこちで聞こえるものの、おとなしくことが運ばれていった。来てくださった方の数は昨日を大きく上回り、僕の席から見ると、あふれかえっている感じだ。夏の暑い最中に、こんなにつめかけてくださって、ありがたい気持ちで一杯になった。そして最後の方のご焼香も終わり、葬儀社の司会の人が、

「最後にあたり、喪主小林 純から、ご参列いただきましたみなさまに、ご挨拶を申し上げます」

と告げた。これだけのたくさんの方の前で、しかもみなさんが食い入るようなまなざしで僕を見ている。緊張しない方がおかしいが、自分の緊張感は予想以上だった。


「みなさま。本日は妻の里香の葬儀にご参列いただき、誠にありがとうございます」

一礼をして、一度深呼吸をした。

「数日前、夜中の日付が変わる頃、入院先の院内で、里香は急に容態が変わって、懸命の救命治療むなしく、息を引き取りました。

 知り合って十八年、結婚して十六年。もっともっと一緒に暮らしたかったのですが、その願いはかないませんでした。しかし、今でも里香は、僕の奥さんであり、そして僕の自慢の彼女です。

 昨年の十一月に身体の変調を訴えて、入院したのですが、その院内で肺動脈に血栓がつまって心肺停止を起こして倒れました。幸いにも病院内であったので、救急の措置が早く、命を取り留めました。生死の境をさまよった訳ですが、その後の懸命の治療によって、大きな障害もなく、どんどん回復していってくれました。途中に大きな手術をはさんで、三月の頭には、待望の退院を果たし、自宅に戻ってくることになりました。その後は、自宅からの通院でリハビリを続けながらの療養だったのですが、この間、僕たち夫婦は、とてもたくさんの大切なことを学びました。命の尊さ、人の善意のありがたさ、家族の愛、生きていることの歓び、感謝の気持ち。里香が倒れたことで本当に実感を持ってそれらのことを学べました。僕も小さな弱い人間です。実際に自分の連れ合いがこんなことになって、初めて、当たり前の大事なことに気が付きました。里香だって同じです。そして、車イスだったり、手を引いてだったり、二人で家の近所をゆっくり歩いて、こんなにたくさんの花が咲いてるのか、鳥や虫やいろんな命がこんなにたくさん生きてるのか、って気付きました。二人で一緒にそういうことに気付けたことは、本当に幸せでした」

 誰もがしわぶき一つせず、僕の話に聞き入ってくださった。みなさん、真剣な目をしていた。その中に、僕の師匠もいた。誠実な人柄の先生は、僕らの仲人でもあり、ご夫妻揃って、いつも僕らのことを気にかけていてくださった。お二人がどれだけ、里香の容態を心配されていたことか。僕の話を神妙な面持ちで聞いておられる姿に、改めて先生のありがたさを感じた。

「里香は、身体も大きいし、また自分の筋肉を鍛えることが好きでしたから、はっきり言って女性とは思えないほど、強い身体を持っていました。反面、若い頃から重度の病気を抱え、いつもお医者さんにかかりながらの人生でもありました。彼女は人前で苦しいことやつらいことを言わないので・・・まあ、心を許せる相手には愚痴もたくさん言ってたようですが、普通に見れば、いつも元気一杯、駆け回っていたイメージだったんじゃないでしょうか。根性もありましたしね。でも、今は、僕の中では、こう、薬の袋をつまんで持って、両手でバランスを取りながら、うちの中をひょこひょこ歩いていた姿が、愛おしい・・・。そういう彼女の繊細で壊れやすい一面も知っておいてやってください。

 それから里香は、本当に読書好きで、また音楽や絵画はもとより、たくさんの芸術に親しんでいました。また、ジャンルを問わず、いろんなことに興味を持ち、びっくりするほどたくさんのことを知っていました。それはもう、芸術全般、歴史、文化、風俗、土木、建築から街作りまで。これは大袈裟じゃなくて、本当なんです。僕の学生時代の仲間で都市計画を専門にやっていた奴がうちに遊びにきたとき、里香の話を聞いて、「おまえのカミさんの見識には驚くわ。どこで勉強したんや?」って言ってました。そして、今日、こんなにたくさんのみなさんにおいでいただいたのですが、そのための連絡先を知りたくて、里香の手帳を見たんです。そこには、もうびっくりするほどの本や映画や音楽なんかのリストがあって、その何割かには「J」のマークが付いていました。これ、僕にいいものを教えようとしていたんです。里香は、インプットはすごいんです。でも自分ではお琴を弾くこと、唄を歌うこと、絵を描くことしかアウトプットできない。口下手だったんで、上手に人に語るのは苦手でした。琴と唄は再生芸術なんで、何か新しいものを表現することに関しては、きっと、作曲したり、文章を書いたりする僕に託してたんだと思います。実際、里香がヒントをくれて書いた曲は何曲もあります。だから、僕らは共同作業なんです。ですから、これからは、僕の作曲した曲を聴いて、もし少しでもいいな、と思ってくださったときには、僕の分と一緒に、里香の分も拍手してやってください」

一人の人が拍手をしてくれた。たくさんの人ではなく、ただ一人だったのは、僕の曲がまだまだ知られていないということで、これから頑張れ、ということだな、と思った。しかしその拍手は長く続き、一人だったことで、かえってその人の強い意志を感じさせた。拍手の主はつのだみかさんだった。

「それではみなさん。今日は本当にありがとうございました」

そこで話していた位置から、棺の方へ移動した。そこにはリョウさんが立って待っていた。棺を乗せたストレッチャーをみんなで押して外へ運ぶのだ。その前に至とリノ夫妻に買って来てもらっていた森永マミーを受け取った。僕は一口サイズのものをイメージしていたのだが、それは紙パックのかなりでかいものだった。あわわわ、こりゃでかい、と思ったが、まあいい。こんなのが最後に来るのも里香らしくて面白い。紙パックの口が開けにくかったがモタモタしている時間はない。強引に開けて、一口だけ口に含み、(ここでゴックンと飲み込んで「飲んでもた!」とやると大阪なら突っ込みが入ってギャグとして成立するが、東京ではやはり難しいだろう。やってみたい気持ちをこらえて)里香に口移しで飲ませてやった。最後の約束だ。数日間ドライアイスづけだった里香の唇は予想以上に冷たく、固かった。そして、参集のお客様を見渡した。棺を押す人をもう少し呼びたかったのだが、そこで昔からの友人、田中太の姿がやたら目についた。彼がひと際長身だということもあるが、なにか里香が彼を呼んでいる気がした。太は里香と仲が良かったから、きっとそうなんだと思う。手招きしたが

「え?おれ?」

という反応。いいから来いよ。そう思いながら再度呼び込んだ。彼の他にも数人やってきてくれて、僕、リョウさん、至夫妻を含めてみんなで棺のまわりに立った。

「では。みなさん。最後は舞台の人間らしく、拍手で送ってやってください!」

今度は満場の拍手が起こった。一生懸命に叩いている人もたくさんいる。大きな拍手に囲まれて、ふたを閉じた棺を押していった。真ん中あたりで、顔の部分のドアを開けて上から覗き込み、

「ほら、聞こえるやろ。みんな拍手してくれてるぞ」

そう言った。



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