FC2ブログ
2018.05.15 Glory 29

 約二年振りに塾講師に復帰した僕だったが、流石にダメ人間だった期間のブランクの影響は大きく、初めは失敗の連続だった。それらはみな講師としてのスキルの問題ではなく、一社会人としての常識の部分での失敗だった。例えば、連絡事項をうまく受け取れなかったり、伝えられなかったり、持ち前の方向音痴に拍車がかかって、指定された場所にたどり着けなかったりである。あるときには研修先の校舎で若い講師から

「あなたのような人間にうちで授業をしてもらいたくない!!」

と怒鳴られたこともあった。実はこれは彼の誤解もあったのだが、確かに彼が怒るのもわかった。すっかり意気消沈した僕は、講師としての腕前にも自信をなくしてしまった。そこで僕は配属された渋谷の校舎で、しばらく授業を持たず、研修期間とさせていただきたいと申し出た。自分なりにリハビリ期間が欲しかったのである。これを聞いた、若く熱意のある、とても有能な校長は、快諾してくれて、

「それでは、この校舎の全ての講師の、全ての授業を自由に見学していただいていいです。私の責任でそれを許可しますから、ご存分に勉強なさってください」

と言ってくれた。こんなことは特別な話だと、長年やってきた僕にはよくわかる。有り難い話だ。僕が上京してきた頃、首都圏ではまだ小さな存在にしか過ぎなかったこの塾が、業界でも一二を争う大手にのし上がってきたのも、こういう前向きかつ大胆な発想とそれを実行する積極性があったからなのだろう。自分の担当と関係なく、いろんな科目の、いろんな学年の授業を見学させていただいたことは予想以上にいい勉強になった。そして、ここにカリスマ講師が集まっている、と幹部が言っていたのがよくわかった。それまで自分が勝手に考えていた受験指導の枠組みが、単なる一つの形態でしかないこと、いかに自分が勉強不足だったかもよくわかった。何週間かが過ぎた頃、校長から

「どうですか?勉強になりましたか?そろそろ研修の成果をみせていただきましょう」

と言われ、模擬授業をやって校長以下、ベテラン講師の方々に見ていただく運びとなった。ここは全力で当りたい。5年生の理科で「音の性質」という単元だったので、ここぞ、とばかりに至からノートパソコンを借りて、波形編集ソフトを使って、テキストに載っているオシロスコープの波形データを実際にいろいろな音を出しながら見せていくことにした。自前のギターやバイオリンや伝家の宝刀、尺八も駆使して、念入りに組み立てを考え、これに臨んだ。やり始めるまではかなり緊張したが、やってみると意外に落ち着いて授業ができ、臨機応変に計画を変更して対応することもできた。ベテラン講師のお一人からいくつか適切なアドバイスをいただき、講師室に戻ると、校長から

「いや、すばらしかったです。これはもう純先生ならではですよね。早速、担当クラスを持ってもらいましょう。実はお願いしたいと思っているクラスがあるんです」

と言われた。同じ校舎に小林先生という人が既にいて、区別するため、僕は下の名前で呼ばれていた。このときは本当にうれしかった。ちょうど学年が入れ替わり、新しいクラス編成になる時期だった。担当を指示されたクラスは小学5年生の一番上位のクラスだった。そしてここから僕にとっての第二の塾講師人生が始まった。素晴らしい仲間にも出会えた。教える技術や受験の知識などもこれまでになく向上したと思う。なにより、大きなやり甲斐を感じていた。生きる張り合い、もっといえば生きていく意味を見つけることができた。


 夢中になって塾の仕事に取り組んだ。そういうときにはいい仲間とも出会えるもので、こんなすごい奴も世の中にはいるんだなあ、と思えるようなスーパー講師が何人かいた。塾講師という家業は何か別の仕事を持ちながらやっている人が多い。かくいう僕もそうだが、統計学の学者だったり、詩人だったり、ゴーストライターだったり、メジャーで活躍中の作曲家だったり、いろんな人がいた。副業としてやっている塾講師で業界トップレベルのカリスマなのだ。何事もこっちだけよくてもう片方はダメ、なんてことはない。本業がすごい人は副業もすごいのだ。そして逆もまた真なりで、自分がいかに中途半端な人間なのか痛いほどよくわかった。精一杯やっていく中、年を二つ越え、担当したクラスが受験を迎え、そして生徒達はいくつもの奇跡を見せてくれた。自分が誰かの役に立っている、そう実感できるとき、人は一番歓びを感じるのだと改めて知った。

 そんな中、思いもかけなかった出会いが待っていた。その人を初めて見たとき、里香を初めて見たときと同じ感じがした。しかもそれは同じ日付けで場所もほぼ同じであった。そしてその数ヶ月後、僕は四十八才にして、生まれて初めて自分から女性の手を握り、その人と付き合った。彼女は僕と付き合い始めた頃、自宅に一人でいるとき、里香が会いにきたという。姿は見えない。ただ、部屋の中で風が吹いて、そこに里香がいることがはっきりわかったそうだ。涙が止まらず、心の中で必死になって祈ったら、とたんに風が止み、元に戻ったという。そのとき、「許されたんだ」と確信したのだそうだ。

「わたしと里香さんは心でつながってるのよ」

よくそう言っていた。バイクを降りる決心をし、緑馬を売却することにしたとき、電話でそう告げたら彼女はさめざめと泣いた。やはり随分心配していたようだ。後日、

「あれは、二人分泣いたのよ。里香さんの分も」

そう言っていた。素晴らしい女性だった。賢く、常に前向きで、自分の意見をはっきり言う人だった。しかも相手が聞き入れやすいように言うのが上手だった。そしていつも僕に献身的につくしてくれた。彼女の助言で離ればなれになっていたリョウさんと再会し、また一緒にやるようになった。彼女の応援で、僕はいくつも失ったものを取り戻していった。彼女の勧めで始めたライブをきっかけに、キーボードやパーカッションの素晴らしい仲間とも出会えた。自分から積極的にプロモーションするようにもなった。お蔭でインドの方で高名なシタール奏者とも共演できたし、また地元の喫茶店で定期的にライブをやらせてもらうことになり、毎回、多彩なゲストを迎えて、自分の枠を広げることができた。そしていつも彼女がそれを支えてくれた。塾の仲間や生徒達のお蔭で、僕は人間らしさを取り戻し、彼女のお蔭で音楽への情熱を取り戻した。ただ、彼女と付き合っている間、実は作曲は全くできないままだった。しかし、既存の曲をもっともっと深めていくことの大切さを彼女のお蔭で学んでいたので、今はそういう時期なんだと思っていた。

 付き合って三年が過ぎ、彼女は僕の元から去っていった。いつまでもうだつの上がらない僕が疲れさせてしまったようだ。彼女にふられ、流石に心底落ち込んだが、ふられてすぐ、不思議なことに作曲が以前のようなペースでできるようになった。なにか、彼女は僕に足りないもの、欠けていたものを授けにきてくれていたような気がする。やがて音楽活動の方にも変化があった。僕とリョウさんに加えて、もう一人のギタリストが仲間に入った。才能と情熱と集中力があり、強力なメンバーが加わった訳だが、なによりもいいのは純粋で優しい男なのだ。三人で残りの人生を懸けて精一杯やろうと誓い合った。


 時は流れ、つい先年、里香の親友の由里ちゃんが亡くなった。五十三才という若さで。病に倒れてからはすぐだったようで、ある意味、彼女らしくもあった。きっと向こうで里香と会って一緒に笑っているんじゃないかと思う。二人が会っている姿を想像すると笑っているとしか思えない。いいよ。そこから僕らを見守ってて。ただ、二人であんまり僕らの悪口とか言わないでよ。ね。


               *


 2004年の夏は記録的な猛暑だったという。僕はそれを後年になって人から聞くまで知らなかった。

それだけ、周囲の現実から心が離れていたのだと思う。どんなに暑いのか、それさえも気付かなかったのだ。里香が亡くなるなんて信じられない事態を、僕とおかあさんはどうやって乗り越えてきたのだろう。そして人は年をとって次第に老いていく。四十三才という年齢で亡くなった里香は、やっぱりずっと四十三才のままなんだろうか。だとしたら、一つ違いだった里香と僕がどんどん年齢が離れていく訳で、不思議な気がする。里香は僕の記憶の中だけにいるとは思えないからだ。人は時の流れに逆らえない。ただただ流されるままになっていた時期もある。しかし、いろんな人と出会えたことで、少しずつ失いかけた自分を取り戻せてきた。それにしたがって、里香が夢にでてきたり、声が聞こえたりすることも減ってきた。今はきっともっと別の空間にいるような気がする。

 そしてこれからもきっと新しい出会いがあり、新しい世界が広がっていくことだろう。人生は長い旅だ。つらいこともある。うれしいこともある。旅を続けられる歓びを感じながら、これからもずっと歩いていきたい。



 里香が倒れてからの七ヶ月のことを僕は宝物だと思っている。亡くなったのは悲しいことだが、それは生きている人間に特有の感覚なのかもしれないと思うときがある。一度は失いかけた命を吹き返したのは、ひょっとして神様から人間修行の再履修を言われたんじゃないか。まだ我が強かったり何か足りないところがあってそれを神様から指摘されて、この世に戻ってきたのかもしれない。あの期間、迷ったり、つらかったりもしたけど、今思えば、笑顔と感謝の七ヶ月だった。亡くなる少し前、体調が悪くなっていく中、里香は僕にこう言ったことがある。

「でもわたしは、いまがいちばんしあわせです」

どうしてかと聞くと

「あなたがやさしいから。あなたといっしょにいられるから」

と言った。バカ。俺は昔からいつも優しいぞ。そう心の中で思ったが、でも僕も幸せだと思った。苦しい時期でも感謝を忘れず、しあわせだと言ってくれた。合格点が出たのかな。蘇生してからはつきものが落ちたように素直になった里香。だんだん無垢になっていき、最後はちっちゃな子供みたいになって、そして僕にとって天使になった。大事な大事な、一番大切なものは何かを教えてくれた。道を見失った時期もある。でもみんなのお蔭で、僕はまだ生きて、人間としての旅を続けている。そしていつか。頑張って頑張って生きていったその先で、きっとあの眩いばかりの光の中で、再会できると信じている。そのときは胸を張って、笑顔で会えるように、今を精一杯生きてみるよ。

『がんばって!』

 ありがとう。僕の里香。

 また会える日まで。




スポンサーサイト