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 怒濤の春期講習もいよいよ大詰めとなった。この間、南出と春生の理科の補習を偶数日の朝の授業前に、そして奇数日の同じ時間帯に充の算数を補習してきた。これは俺のボランティアとしてやった。朝早くにやるのはいささかきついが、夜、授業後にやると本人達の疲れや遅くなった場合のセキュリティーなど問題も考えられるので、俺も朝はギリギリの時間まで寝ていたいところだが、ちょっとばかり頑張ってきた。その成果なのかどうか、微妙だが、理科の春期最終回で、ある発問をして何気なく南出に当てたら、自信なさそうに小声で答えた。

「ああ、それが正解だ」

と言ったら、大袈裟に目をくるくる回して両手でガッツポーズを取りながらよろこんだ。

「やった! やった~~! 初めて答え合ってた!!」

という。そうだったかな。全く意識していなかったが、こいつ今までずっと当てられても間違えてきたのか。塾に来てもう一年以上経つのに。それにしても派手なよろこびようだ。やることがいちいち面白いひょうきんなやつだ。まあ、なんにしても自信につながればよし。あとはテストで成果をだせるかどうかだが。


 講習最終日の最後の授業は、彼らではなく、中2の数学だったが、これを終わって講師室で自分の席に着いたら疲れが一気にドッと出た。終わったぞ、という達成感もあるが、それより心身の疲労感が上回っていた。それでもしばらくボ~ッといすに座っていたら、なんとかようやく人心地がついてきた。さあ、あすの朝はゆっくりできるし、今夜は気兼ねなく飲みにいけるぞ、と思ったら、連絡ボードに「春期講習の打ち上げ」について書いてある。それはまあ、いいのだが、幹事が三溜事務主任になっている。俺と同じく、授業から戻ってくたくたになっている菅生君に言うと

「そうなんですよね。今夜はちょっと自由にはできないと諦めましょう」

と浮かぬ顔で答えた。まあ、暗くなるほどの事態ではないが。


 俺たちだけでなく、他の講師陣や事務スタッフも春期講習は大忙しだった。だから打ち上げの飲み会はそのご褒美として楽しみなはずなんだが、うちの校舎の場合、もうひと頑張りのご奉仕的な意味合いの生じる場合がある。一次会は少し大きめの部屋を借りてほぼ全員の参加で始まった。皮切りに司馬校長の乾杯の音頭があったが、彼も時間講師出身のせいかこういうときは、長話せず、パパッと済ませてくれるところがいい。現場の人間の気持ちをわかっていらっしゃる。それ以外は特に何か儀式めいたものはなく、みなそれぞれに酒を酌み交わし、楽しく語り合った。そんな中、俺は三溜主任を注視していた。それは彼女が美人だからではない。となりの菅生君に聞いてみた。

「どう思う?」

「う~ん。わりとセーブしながら飲んでますね。こりゃ避けられないと覚悟した方がいいかもですよ」

彼女はお酒はなかなかいける口だ。ワイン好きでかなりそちらの知識も深く、飲んで浮き世のうさをはらすような飲み方では全くなく、味わい派の酒好きといえる。だからただ飲んでる分にはなんら問題はない。問題は2次会以降なのだ。

楽しい時間はあっという間に過ぎる。そうこうしているうちに1次会はお開きとなり、三溜主任が2次会に参加する人数を確認し始めた。

「2次会いかれますよね。あくまで自由参加ですから、ご都合の悪い方は結構ですよ。でも行ける人はできるだけ参加の方向で」

そんなの都合のいい悪いじゃなくて、好みや気分で判断させてもらいたい。あの高圧的とも言える固い表情で「自由参加」と言われても断るのには少しばかり勇気がいる。結局、かなりの人数が参加となり、その団体旅行のような一団を率いて彼女は自分の牙城へと向かうのであった。


 カラオケボックスのその部屋は、ミラーボールが付いている結構大きなものだった。

「は~い。みなさ~ん!2次会の始まりで~~~す! 盛り上がっていきましょう!!」

と、三溜主任は最初からマイクを持っている。こりゃ腹を決めてご奉仕に勤しむより他なさそうだ。

「みなさん。曲は順番にみんな平等にいきわたるように入れてくださいね。まず私。それからあなた。次は私。その次があなた・・・」

始まったよ。なんのことはない。自分が歌う合間に他の人が順番に歌うのだ。

「歌うのがイヤな人はいいんですよ。私がそのかわりに入れますから」

半分以上を自分が独占しておいて、何が平等なのか聞いてみたいが、どうやら自分の歌はみんなが楽しみにしていると決めてかかっているようでカウントしないようだ。たしかに彼女は歌が上手なので、俺たちも好きな曲を歌ってくれている分には楽しめる。しかし1曲や2曲ならまだいいが、10を遥かに超えるとなると、さすがにプロのリサイタルじゃないんだから飽きてもくるというものだ。いくつか曲が進行して行く中、俺が菅生君に話しかけたとたん、三溜主任の怒りの声が飛んできた! しかもマイクで拡声された爆音で、エコーさえかかった声で。

「ちょっと!丸木戸先生!!何話してるんですか。いいですか。私は、今、他でもありません。『聖子ちゃん』の曲を歌ってます。ちゃんと聞いててください! あ、もう一度、アタマからお願いします」

「す、すみません・・・」

バラードのときは静かかつ熱心に聞き入って、サビではみんな一緒に歌い、ノリのいい曲では全員が手拍子を打ち、大きな声で間の手を入れる。常に主役は自分でなければ許さない。はいはい。あなたはいつも校舎の運営に大きく貢献なさってます。俺なんかお世話になりっぱなしです。だから年に数回のカラオケぐらい我慢して盛り上げますよ。あなたのために。しかしまあ、よくもここまで公然と暴君になりきれるもんだ、と感心してしまう。今夜は『松田聖子』と『カーペンターズ』ばかり歌っている。みんなが知ってる人気のある曲を、ということなんだろうけど、その実、自分の好みなんじゃないのか。まあ俺も好きなので、それはいいのだが、自分のファンであるかのようにこちらの態度を強制されるのがイヤなのだ。春期講習のきつい労働の果てにこんなご奉仕が待っていたとは。疲れ果てた今となってはこの場を逃れる方法を考える余力もなく、ただ、自分の神経のスイッチを切って、おとなしく濁流にのまれていくことにした。


 結局、2次会のカラオケ地獄の後、このまま帰宅したら自分がかわいそう過ぎると思い、菅生君と朝まで飲んでしまった。彼も同じ思いなんだとは思うが、それにしてもいつもとことん付き合ってくれる本当に優しい男だ。朝、自宅に戻ってそのまま着替えもせず、ゴロ寝して、気が付いたら、もうそろそろ出かけないと授業に間に合わない時刻になっていた。急いでシャワーを浴びて、着替えて速攻で校舎へと向かった。途中、コンビニで買ったあんパンを頬張りながら校舎に入ったら、祐子のお母さんが出てくるところに鉢合わせた。

「あ、丸木戸先生。お会いできてよかったです。今日はお礼に伺ったところなんです」

急いであんパンを飲み込んで言った。

「あの、お急ぎでなかったら、立ち話もなんですので、面談室の方へどうぞ」

どうやら、司馬校長が応対してくれていたようだが、俺と菅生君にお礼を、ということでわざわざ来てくださったので、せっかくなので再度俺が応対した。

「先生、ありがとうございました。お蔭さまでやっとやる気になったみたいで、春期講習の間、ちゃんと勉強するようになりました。先生からいただいた理科と社会の問題集を講習中に全部やるんだっていって」

「あ、それはよかった。今日、やったものを持ってくるように指示してありますんで、見てみます」

「お願いします。あの、先程、校長先生にお菓子をお渡ししてありますので、つまらないものですが、どうぞ召し上がってくださいね」

「ありがとうございます。わざわざお越しいただいた上に。でも祐子ちゃんはその気になれば、あっという間に上位層に追いつきますよ。それだけのものを持ってるお子さんです」

「そう言っていただけるとうれしいです。あの、先生、もう授業なんじゃないですか。私、これでおいとましますから」

そそくさと退室されるおかあさんを出口までお見送りをして、講師室に戻ったら、司馬校長がお母さんの持ってきたお菓子の箱をくれた。自分の席について開けてみたら・・・中身は最中だった。二日酔いの上にあんパンを食って、この上、最中まで食ったら100%胸焼けだ。祟られたな。カラオケ地獄の次はあんこ地獄か。まあ、食わなきゃいいのだが。


 今日から早速、通常授業の再開であるが、授業開始の少し前に予定通り祐子が理社の春期の課題を持ってきた。内容的にはあまり難しいものではなく、ざっと全体を見渡せるようなものを与えてある。簡単に目を通してみるとなかなかよくできていた。

「いいじゃないか。でもやった後でもよくわからないところあるんじゃないか?」

頭のいい子なので、自分が何をわかっていないのか、ある程度自覚があるだろう。それも確かめてみたかった。

「はい。あの、天気の変化の露点のところと、電流の並列のところが、今いちよくわかりません」

「うん。じゃそこは土曜日の早い時間に補習しよう。早速今週から始めるぞ」

「はい。ありがとうございます」

「ただ、1対1じゃなく、何人か集めるかもしれないから、そのつもりでな」

「は~い」

やはり、祐子はわかっていた。自分の理解不足を自覚できる子は、当然だが伸びるのが早い。厳しい目で自分を見ることなんて、大人だってできちゃいないもんだ。元々頭のいい子だが、演劇の経験も大きな糧のなっていると思う。夕べの三溜主任じゃないが、「なりきり」と同時に、客観性も要求されるからだ。

 さて、ちょっと専門的な話になるが、祐子がよくわからないといった2点は、確かにわかりづらい箇所である。参考のために、なぜわかりにくいのか言っておくと、まず前者だが、よく参考書やテキストに載っている「空気の成分」という帯グラフがあるが、これに水蒸気が含まれていないことが説明されていない。あのグラフは空気の成分のうち、水蒸気を省いたものの割合を表している。なぜそうなっているのかと言えば、水蒸気の割合は気温によって大きく変動するからなのだ。このことを板書(ばんしょ:黒板やホワイトボードに「書いて」説明することを塾業界ではこういう)して視覚的に訴えることを最初にする方がいい。ご家庭でお子さんに説明するときもこの点を押さえてもらうと後がスムーズに進むだろう。後者は、そもそも回路が並列になっているということは電気抵抗が高校で習う(習わない場合もある)「調和平均」を個数で割ったものなので、普通には難しい。調和平均とは簡単に言うと割合と割合の平均なので、特殊なのだ。これを小学生に説明するにはちょっとばかり工夫がいるので、お父さんが公式を振りかざして説明しても悪影響しか生まないだろう。ここは餅は餅屋でわれわれに任せていただいた方が助かる。

 ついでにもう一つ。話しておくにはいい機会なので言っておくと、小学生に「方程式」による解法を教えるのはひかえて欲しい。算数でつまづいたお子さんにご家庭で指導する機会もあると思うが、「どうせ中学で習うのだから、今からやっとけばいいだろう」とか「○○算、□□算なんて別々に教えないで方程式でやったら全部カタがつく」ということでXやYを持ち出して教えるのは、後で困ったことを引き起こす。我々の経験上で言うと、途中から算数が伸びなくなってしまうのだ。これは、マイナスの処理、とかそういう話ではなく、子供の脳の発達段階と関係があるらしい。小さいうちはなんでも口で復唱しながらものを覚えるものだ。これは人間が言葉をあやつる生き物だからで、幼少期は脳の聴覚と言語野が発達していく。だから2年生で九九を習うときもみんなで復唱して覚えるのが効果的なのだ。その後10才くらいから数年間、ちょうど中学受験と重なる辺りになると、今度は脳の視覚野が発達し始める。この時期は「視覚化」して教えることが大事なポイントになってくる。線分図や面積図、速さの問題におけるダイヤグラムの活用、加重平均を「天秤」で解く、など中学入試特有の解法が使われるのはこのためだ。その後、13才くらいからようやく「抽象化」「論理思考」といった部分が発達し始める。中学で方程式を習うのは時期的に理にかなった話なのだ。この点を押さえておかないと大人の感覚で方程式を持ち込んでも、子供の脳の発達段階とかみ合わず、「伸びない」という現象を引き起こしてしまうという訳だ。あまりこういう説明は塾の方でもご父兄に向かってしないので、この点、中学入試の受験生をお持ちのおとうさん、おかあさんはご承知置き願いたい。



 


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