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 模試の復習、総括の回を経て、来週からいよいよ夏期講習に入る。ついこの間、新学期だったのに早いもんである。約30日の長きに渡って朝から夜まで授業がくり返される訳で、生徒達もこれをサポートする保護者もそして教える側の俺たちも体力勝負が待っている。講習のペースは春期とほぼ変わりないが、日数が3倍くらい違うのだ。そして毎年思うのであるが、この期間、講師の俺たちが体調をくずすのは御法度である、というのが落ちては行けない綱渡りを強制されているようでなんだか島流しにされた咎人にでもなったような気分だ。

「この大事な時期に体調不良を起こすなんて三流四流のやることだ」

なんて豪語する人もいるが、要は人手が足りないのである。みんなかつかつに授業が詰め込まれているから、誰かが穴をあけたりすると補填がきかないのだ。学生のアルバイトの講師は大学が休講だから時間があって使えるんじゃないか、と思うかもしれないが、彼らは夏や春の長期、また年末年始の時期に旅行に行ったり、里帰りしていたりする。旅行組には

「沖縄行ってました!」

とか、中には

「オーストラリア行ってました!」

なんていう羨ましい話も多い。真面目な女子学生で実家にずっと戻っている子もいるし、欧米の大学へ短期の交換留学や語学研修にいく子もいる。せっかく大学が長期休講なのだから、それぞれ有効に休みを活用している訳だ。若いうちは旅に出るべきだし、そのために普段塾で稼いでいるとも言える。そういう有効活用をせず、大学が休みなのにも関わらず、朝からずっと授業をやる学生講師もいるが少数派だ。そしてそういうマイノリティーの中のコアなタイプが後々、俺たちのような人生(キリギリス的な生き方)を歩むことになるのである。俺も大学時代、ずっと旅行などせず、塾で働いては飲んだくれていた。年末年始、スキーとかにみんなが行ってる間、冬期講習。春休みで国内外へみんなが旅行している間、春期講習。夏休みで海とかへみんながくり出す行楽シーズンは夏期講習である。見聞を広めることもせず、彼女ができるような出会いもなく、ただひたすら授業をして終わったら飲みにいく。入るお金はみな飲み代に消えていく。今と同じ生活のくり返しである。延々と続くループの中から抜け出られず、永劫回帰のように同じ輪の中を回り続ける。気が付くと就職活動の時期を逸し、そのまま、留年し、ついには大学へ通うのが面倒になって中退し、就職できないからとりあえずこのまま塾で教え続けて、あっという間に四十となってしまった。とまあ、これは俺の例であって、菅生くんなどはちゃんと現役で修士まで出て、この仕事が好きでやっているのであるから、何も能動的な行動をとらないまま流されてきた俺とは全く違う。ま、人それぞれだ。話を元に戻すと、授業数が激増するのに、学生のバイト講師が減るから誰もが病気もしていられないほど、パンパンになってしまうという訳だ。体力的にきつい時ほど、体調を壊すことが許されなくなる。どの世界もそんなもんかな? 俺は受験業界以外の労働環境を知らないから、よくわからない。


 さて、大事だ大事だ、とくり返し言われる夏期講習だが何が大事なのか、受験勉強全体のどういう部分を担っているのかを考えてみよう。もちろん、生徒一人一人によって意味は変わってくる。まだ基礎学力に不安がある場合は、この習得が最優先課題となる。1学期までで各科目の単元学習は終わっているが、一回やっただけでは完全でないのが普通だ。だから大概の子はこのケースに当てはまる。各単元をもう一度基礎から確認し、基本的な考え方や知識の定着を目指す。これを夏にしっかりやって、秋から過去問を解きつつ、志望校の対策を作っていく。このレベルの場合、入試問題に傾向があるとはいえ、大体は突飛な問題は出題されないから、大事なのはやはり基礎である。うちで言えば、南出、りる、充、大悟の国語社会などである。

 それより少し上のレベルになると基礎の確認と同時に応用問題への対応をやることになる。この場合も応用と言ってもやることはほとんど決まっているから、勉強の方法は基礎学習とほぼ同じである。扱う問題の難度があがるだけだ。ただ、やや違うのは次のようなことだ。

 例題などで「こうこうこうやって解くのだ」ということを習ってそれを練習問題でくり返し、習得していく。これが勉強だ、と思っている人が多いが、これは勉強の半分である。その逆の取り組み方、つまり、いきなり問題を与えてどうやって解くのかを考えさせる方法が残っている。実際に手を動かし、試行錯誤して、その中から規則性や法則性を見つけ、これを使ってさらに先を解く。前者は演繹であり、後者は帰納である、といってもいい。中学入試では上位校になるほど後者ができるかどうかを求めてくるケースが多い。だからレベルが上がるにつれて後者の学習法を増やしていくことになる。そこが基礎レベルと中級レベルの差だ。うちのクラスなら春生、飯田、かえで、ナナ、などがこれに該当するだろう。

 さらに上になるとこの帰納の作業が多くのウェイトを占めてくる。トップレベルでは習ったことだけで解ける問題では差がつかないし、上位の学校は知識や解法を頭に詰め込んだ子より、自分で工夫できる子、預かって6年間教えてそこで伸びる子の方を求めているからだ、とも言える。ただし有名大学の付属校の場合この限りではなく、処理能力の高さ、スピードなどが重視される傾向がある。ナナの場合ここを鍛えていくことになる。進学校の上位を目指すなら帰納による解法を夏から練っていく。うちでは織田、祐子、かえでの国語、大悟の算数理科、飯田の算数がこれにあたる。


 各人の夏の目標はそれぞれのレベル、得意科目か苦手科目かによってこんな感じで決まってくる訳だ。

懸案になっていた補習に対する俺たちのお手当であるが、

「授業給は出せないが事務給なら」

という司馬校長に対して、

「ふざけんな!」(とは言わなかったが)

と拒否したところ、事務給として、しかし時間を倍増して(実際にやった時間の倍やったことにして)対応するという返事がきた。まあいいか、とも思ったが菅生くんの補習代もこれによるので、

「3倍増で頼みます」

と言ったら

「では2・5倍増で」

とのこと。なんだかみみっちい交渉をしているようで嫌になってきて

「今日はこの辺で勘弁しといたるわ!」(実際にはもっと丁寧な言い回しで)

と答えた。まあ、なんとか菅生くんに対しても面目は立てたか。しかし夏期講習中の補習はちょっときつい。俺たちに開いているコマが殆どないからだ。また生徒の方も体力的にしんどいかもしれない。それでも、必要になったらやるしかないが、補習頼みになりすぎるとこういう無理が生じてくるから、補習はあくまで補助として、という感覚を俺たちも生徒達も持っていた方がいい。それに時間を増やして申告するとなると矛盾が生じかねない。くり返すが講習中は俺たちに空きコマがない。授業時間と事務仕事を同じ時間帯に重ねてしまうと齟齬が出てしまうのだ。春のように授業前に呼び出すしかないが、それも30日の長きに渡っては厳しいだろう。

 ここまでの話に加えて、自習時間の効率アップも必要だ。やはりここがキモだ。自分一人で勉強している時間の伸びが受験の合否を左右するといっても過言ではない。その最たるものが合宿だろう。だから合宿前の講習前半から、自習時間の集中力向上とその持続を鍛えておくべきだ。織田のように放っておいても大丈夫な子は稀で、自習の上がりに「何を」「どれだけ」「どんな時間で」やったのかを一人一人チェックしていく地道な作業が必要だ。酷い場合は漢字の学習と称して1時間もかけて数文字しか覚えていないとか、歴史マンガをタラタラ読んだだけとか、それで「自習していました」と大きな顔をする奴もいる。ここもしっかり検問すべきだ。もっと入試が近づいてきて本人達の意識もできてきたら、そこまでの手間はかけずともよいだろう。というより、その時期はその手間をかけている余裕が我々にもない。


 さて自習の話が出たところで、一人の卒業生について話しておこう。彼は5年生の始めにうちにきて、そこから実に順調に伸びていった。俺の計画では6年生の年内に第一志望の合格ラインのギリギリ手前まで引き上げて残りの一ヶ月で一気にスパートをかけさせるつもりだった。しかし、彼は9月の模試で早くも合格ラインに手が届きそうになり、年末には合格者平均を超え、1月半ばの志望校別の模試でなんとベスト10まで来てしまった。素晴らしい話なのだが、そこから悲劇が始まる。元々ヤンチャな、いたずら好きのタイプで散々俺に怒鳴られてきた子だが、ここで彼は

「ぼく、もう受かっちゃうもんね」

と思い始めたのだ。

「お前、入試が終わるまで絶対に油断するな!油断した奴は必ず落ちるぞ」

と何度も言ったがその度に真面目な顔をして

「いいえ。油断していません。今日も頑張って自習していました」

と言う。実はその年は自習室に俺のスパイが送り込んであって、そこから俺が近くにいないときの情報を得ていた。そういうことを時々やるのだ。このスパイとは同じ学年の受験生で、誰かがサボっていたとか、しゃべっていたとか、寝ていたとかの通報を秘密裏にしてくる。こんな役は男子には難し過ぎて無理だ。その年の女子の中で賢い(勉強ではなく人間的に)子を選んで協力してもらっている。そしてその年のその役を頼んだ女子は大変に美人であった。その油断が懸念されるヤンチャ男は、自分の模試の成績をわざわざ机の通路側に見せびらかすように置いて彼女の気を引こうとしたらしい。それでも振り向いてくれないので、ついに彼女と二人だけになったタイミングで成績表を手に持ってチラつかせながら

「ねえ。見る?見る?」

といってきた。ウザイなあと思いつつもそちらを見るとすごい成績。

「わ、すご!」

と彼女が驚いたとき、満足そうに

「おれ、神じゃねえ?」

と言ったそうだ。慢心の極地である。それを具体的には彼女の立場もあって言わなかったが

「お前、本気で勉強しろよ。受かったつもりになって浮かれてたら絶対落ちるぞ!」

と毎日注意したが、俺の前ではいい子を演じ続けた。そして俺のいない間、自習の振りをして遊び惚けた。俺が何も知らないと思い込んで。

 かくして第一志望の合格発表の日、合格を確信していた彼は校門をスキップしながら通過し、掲示板の前で自分の番号が無いのを見て、固まってしまった。おかあさんに引きずられるように去っていったと聞く。

この失敗を変に捉えて欲しくなかった俺は後日、おかあさんとともに塾に来てもらった。面談室で落ちた理由を自分はどう思うのか聞いてみたところ、何も答えない。おかあさんが助け舟を出して

「緊張しちゃったんだよね」

というと頷いた。そこでおかあさんの前ではあったが、俺は怒鳴った。

「うそをつけ!お前、自分でわかってるだろ!自分はもう受かってるんだって油断してただろう!」

だまって、なにも答えなかった。

「もういい。これで一番の勉強になっただろう。俺なんかに習ったから、こんなことになったんだ。生徒は教師の鏡ってな。自分に甘い人間になったのはきっと俺のせいだ。すまなかったな。でもお前なら押さえの学校からでもどこの大学だっていけるさ。真剣に勉強すればの話だが。それだけの頭脳はおとうさん、おかあさんからもらってるよ。だがな、今回の失敗でしっかり学べよ。もう二度と本番前に油断するな。それから、もう二度と人の前で自分の力を自慢するな!」

おかあさんは目に涙をためながら

「ほら、先生に自分でちゃんとお礼をいいなさい」

と言われた。おかあさんに再度促されて、もにょもにょとお礼めいた台詞を言い始めたが

「形だけの挨拶なんていい!やめとけ。何年か経って、思うことがあったら、そのときに心の中でそう思えばそれでいい」

彼の言葉を遮って、そう言った。

 おかあさんに肩を抱かれながら、あのヤンチャ坊主がここまでシュンとなるか、と思うほど小さくなってお辞儀をした彼の姿が忘れられない。もし、あのまま受かっていたらきっと傲慢な男になっただろう。いい勉強になったと思う。そしてきっと大きく成長してくれると信じている。しかし、神様は大胆な審判を下されるものだ。彼を思い出す度、あんな思いはもうさせたくないという気持ちになる。俺にも油断があったのだ。今年の連中には、絶対に油断することも、うそをつくこともさせまい。 




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