手術の翌日は、前日の疲れのせいか、ぐっすり眠ったようで、普段は眠りの浅い僕だが、おなかが減って朝ご飯をねだるナオに起こされるまで全く目が覚めず、起きたときは10時に近かった。あわてて昨日の作り残しの朝食を食べ、なんとか午前中に病院に着くことができた。夕べ、説明を受けた先生に、改めて脳低体温療法の必要性と、期待される効能、できること、できないこと、具体的な治療プランなどを教わった。人間の脳は非常にデリケイトで、今回のような心肺停止時間が長く続いたケースでは、脳が炎症を起こしたような高温になる可能性があり、これが脳にダメージを与えてしまって、意識回復後に障害が残る危険性があるらしい。これを防ぐために低い体温を一定期間保ち、脳の温度を調べながら徐々に平熱に戻していくのだそうだ。低い体温の間はずっと意識は回復させないままにする必要があり、予定では2週間ほどかけて、ゆっくり体温を上げていくという。さらに今回、想定される障害のうち、どこまでを回避できるのか、また具体的にどこにどの程度の障害が出るのかは断言できないそうで、これについても承認の署名をした。素人の僕に理解できたのはざっとこんな内容である。
「確証はできませんが、とにかく最善を尽くします」
と言われた。その言葉よりも「お任せください」と言ったときの夕べの表情と変わらない、目の奥の自信が、きっとうまくいくに違いない、おかしなことにはならない、という期待感を僕の中に引き出してくれた。

 集中治療室(ICU)に案内され、その大きさ、照明の明るさ、患者数は4人だったもののそれに対応する医師、看護師の数の多さ、そしてそのきびきびとした動作や飛び交う言葉に漂うピリっとした雰囲気に圧倒された。ここが緊急医療の最前線なのだ。夕べ、心から感じた人の命を助けることへの感謝と畏敬を改めて感じた。
 実は昔、僕にも医者になりたいと思っていた時代があった。なぜそう思ったのかはいろいろ理由があるが、幼い頃、しょっちゅう風邪を引いていた僕がかかりつけにしていた先生のことを好きだったことが大きいと思う。いつも帰りぎわに
「じゃあ」
と言って、僕の目を見ながら微笑んで軍隊みたいに敬礼をされる人で、きっとガリガリで背も低く、頼りなかった僕を元気づけようとされていたのだと思う。兵隊さんみたいに強くなるんだぞ、今思うとそんな気がする。そういうやさしい人だった。そしてもう一つ。僕は鉄腕アトムになりたかった。正確に言えばアトムのようになりたかった。なりたかった、というのはなりたい時期があった、という意味ではなく、いまでもそう思っているが、なれないまま、いい年になってしまった、という意味である。僕らの世代の男の子は多かれ少なかれ、みんなそうだと思う。強くて、やさしくて、心正しく、正直で、みんなのために我が身をかえりみず懸命にがんばる。そんなアトムに憧れてきた。「心やさし、科学の子」という言葉に今でも心が動く。現実の世でこういう人になりたければ、それは僕にとってお医者さんだったのである。しかし、長ずるにつれて、自分のような勉強嫌いではとても医学部になど入れないことを知り、気が付いたときは、なぜか尺八吹きになっていた。とんだ落差だが、キリギリス人生まっしぐらの今でも、お医者さんに対する憧れと尊敬の念は持っている。それは里香の白い巨塔好きとはまた違った感情である。
 そのICUの一番奥に里香のベッドはあった。他の患者さんに比べて遥かに多い器具やら装置に囲まれている。頭をはじめ、体の各所からたくさんの線が出て計器につながっており、ちょっとSFの世界のような光景だった。体の上には濃い緑色の特殊なかけ布団のようなものがかけられ、ほぼ全身を被っていた。このかけ布団みたいなものが冷却作用をもっているらしく体を冷やしてるようだ。呼吸のためのマスクをかけてあるが、息をしている感じがしない。たくさんある計器の中のメインと思しきメーターには、水平方向のまっすぐなグラフが描かれていた。それがずっと直線のまま続き、かなり間を置いて小さく山を打つ。
「これが心臓の動きを確認しているメーターです」
と先生に言われ、その動きの少なさと弱さに少なからず驚いた。こんなんでいいんですか?大丈夫なんですか?と聞きたいくらいだったが、現在の体温二十一度と聞いて、「ああ、そうなんだ」と、なんとなく納得できた。先生の許可を得て、かけ布団みたいなものを少しめくって、腕を見てみたが、全体が青あざのようになっていて、驚いた。触ってみたが、やはり人肌というにはもうちょっと冷たい感じがする。正直、生きているのかどうか、危ぶまれる感じだ。生きている証拠は計器に現れる細々としたグラフの山のみ。そんな様相だった。里香。お前、生きてるよな。頼むから生きててくれよな。声には出さないものの、心の中でそう問いかけていた。しばらくその場で立ち尽くしていたが、このままずっと見ていても埒が明かないので、一旦、帰宅しておかあさんを迎える準備をし、夕方前にもう一度来ることにした。

 成田までおかあさんを迎えにいき、自宅までの道中にできるだけていねいにことの経緯をお話しした。やはりさすがおかあさんだ。僕の予想よりもしっかりした表情を保っておられて、オロオロしっ放しの僕は少し恥ずかしかった。
説明を聞きながら
「大丈夫よ。里香は必ずよくなります。あの子は強い子です」
と、しっかりした口調でおっしゃる。自分に言い聞かせるとか、気丈に振る舞っているとかという感じは全くなく、心からそう信じていることがよくわかった。それはおかあさんが敬虔なクリスチャンだから、とか、母の愛は強いものなのだ、とかいうより、もっと説明できない根源的な何かがそうさせているように僕には見えた。そしてそのことが僕にとって頼もしい支えになった。おかあさんの偉大さにまたしても助けられている自分を恥じた。4時くらいに自宅に戻り、荷物を置いてすぐに病院へ向かった。ICUの奥のベッドに横たわる里香を初めて見たおかあさんは
「まあ・・・里香・・」
とだけ言って、計器の線がいくつも付いた頭にそっと手を当てて、数分の間、じっと動かずにいた。そして斜め後ろに立っていた僕にゆっくり振り向いて言った。
「純ちゃん、毎日一緒に祈りましょう。元気な里香が帰ってくるように」
その両目から涙がこぼれた。
「はい」
と答えただけで、なにも言葉は出せなかった。
 その日の夜から、僕とおかあさんのふたり体制の生活(ナオもいるからふたりと一匹か)が始まった。僕があまりに変人なので、一緒には暮らせない、と言って、海外に住むことになったお兄ちゃん夫妻についていったおかあさんと、里香の非常事態がなければ、こういうことにはなれなかったかもしれない。良識の鏡のようなおかあさんと、何かにつけ世の中とズレている僕とでは生活感覚にいろいろと開きがあるだろう。できるだけおかあさんを困らせないように、自分としては最大限がんばるつもりである。出前をとった夕食の後、おかあさんと話していて
「しかし、なんで里香は僕なんかと一緒になる気になったんでしょうかねえ?おかあさんは驚きませんでしたか?」
と聞くと
「別に驚きはしないわよ。あの子は昔からそうなの。世間の人があんまり興味を持たないような変なものが好きなのよ」
「ああ・・・そうですか」
ずっこけそうになったが、それを見てか
「でも純ちゃんのお料理、楽しみだわ。上手なんですってね。まあ、私も作りますけど」
と僕を持ち上げようとしてくださった。里香は自分が作るのが面倒で、僕を誉めそやして料理を僕まかせにしていたのかと思ったら、おかあさんにも言っていたのか。案外、本当に気に入っていたのかもしれない。
決して大した腕でもなんでもないが、そう言われると人間うれしいもんである。おかあさんも料理自慢の人だ。どちらがいつの食事を作るのかは追々話し合っていくとして、いろいろな面で、お互い尊重しあって暮らしていくしかない。この生活がどこまで続くのかは、まだ全くわからないのだ。
 その日、ナオはいつものソファーでも僕の寝床でもなく、おかあさんの布団に入って寝たらしい。甘え上手というのか、誰にくっつけば自分が得するのかをよく知っているようだ。翌朝はいつものチャリチャリフードではなく、上等の方の猫カンを開けてもらってのどをゴロゴロ鳴らしながら食べていたのだった。








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