2016.06.08 Glory 7
 里香の意識が戻ってから、数日が経ち、起きている時間も徐々に長くなってきた。先生やスタッフの方から自分が心肺停止で倒れたことを、聞いては忘れのくり返しだったが、僕に
「わたし、しんぞうとまったの?」
と自分から聞いてくるようになったので、ようやく自分がICUに居る理由は理解できるようになってきたようだった。しかし、僕が帰ろうとすると、
「あした、きてくれる?」
という。僕やおかあさんが毎日来ていることは、まだ覚えられていないようだった。声帯を使って声を出すこともまだできず、ずっとささやくようにしか話せないが、それでもかなり会話はできるようになっている。なのに昨日のことは覚えられない。人の記憶の機能とは不思議なものだと思う。先生から、
「少しずつ記憶と記憶力を回復させるために、過去の共通の話題などを話して上げて下さい」
と言われており、いろいろ話してみるが、思い出そうとすると、とてもしんどそうな表情になる。つらそうなので、すぐにやめて今の身の回りの話題にしてしまうのであるが、これもリハビリの一環なので、あまりいじめない程度には続けなければならない。どうも僕がやると、塾の生徒に勉強を覚えさせるみたいな圧力が入ってしまうのかもしれない。大体において、僕は記憶が細かすぎるというか、枝葉末節を省いて、ざっくり大筋を語る、ということが下手である。今の里香には、記憶に関しては、小学校の低学年か、あるいは幼稚園児くらいのイメージで接した方がいいようなのだが、つい要求し過ぎてしまう。話題もなるべく楽しいものに限って、できるだけ簡単にサラッと話す程度でいいのだろう。この点、おかあさんは上手である。まあ、里香が生まれる前から、彼女を知りぬいている訳で、小さい頃みたいに扱うのはお手の物なのかもしれない。僕は、なんといっても里香が二十五才のときからしか知らないのだ。楽しい話題を軽くサラッと、という条件から、二人で行ったアイルランドの話しをしてみたが、眉間にしわを寄せて下を向くばかり。そこで一旦、負担のない話しに変えてから、ゲームの話しをふってみた。すると
「・・・ファミコン・・・」
とだけ応えて、何やら思い出そうとしているが、苦しげな表情はない。記憶をたどろうとしているので、できるだけプレッシャーを与えないように、にこやかな表情で待っていると
「・・・ももちゃん・・・」
と言った。おおう!これは驚いた。実はこれが里香の記憶回復の第一歩だったように思う。「ももちゃん」とは僕ら夫婦の間の言い方で、初期のロールプレイングゲーム「桃太郎伝説」のことなのだ。僕らが結婚したとき、里香の友人のどなたかが、お祝いに初代ファミコンをプレゼントしてくださった。これをいただくにあたって里香は僕に
「あなた、どうせ毎日ゲームに夢中になって、尺八の練習とかおろそかになるでしょう。慢性的に睡眠不足とか。そうならないって約束できるんならいただくことにするけど、本当に大丈夫?約束できる?」
と言ってきた。僕自身もその心配は感じたのだが、
「大丈夫やって。約束する」
と答えた。自信ないからもらわない、なんて誰が言うものか。もらってしまえば、こっちのもんなのだ。
「そう。なら、もらうことにする」
という運びになったのであるが、あの懐かしい8ビットの初代ファミコンが我が家に来た日から、僕ではなく、当の里香のゲーム第一主義生活が始まったのである。一番始めに何をやろうか?ということになり、そういうことは塾の生徒たちに聞いてみよう、という話になった。塾で小6の連中に聞いてみたら、異口同音に
「先生、そりゃドラクエかマリオでしょ」
と言う。いつも勉強についてガミガミ言われている塾の講師から、どんなゲームがいいか?なんてことを聞かれたもんで、生徒たちはここぞ、とばかり、みんな一斉に熱を込めて語り始めるのであった。どっちのゲームにしても1作目からやる方がいい、ということを彼らが言うので、僕の直感でドラクエⅠを買うことにした。しかし、それを里香が買いに行ったところ、とうに売り切れで簡単には手に入らないと言われた。僕らの思っていたより遥かにゲームは世の中に流行し、浸透していたのだ。入荷次第購入の順番待ちの予約をして、その代わりに同じロールプレイングで評判がいいと、店員に勧められて買ってきたのが「桃太郎伝説」だった。僕ら夫婦にとって最初のゲームとなった「桃伝」に、僕らは夢中になった。そして僕よりも里香の方がはまり、僕の練習時間を心配していた話はどこへやら、彼女の生活が一変し、一日のありとあらゆる余剰時間をつぎこんでのゲーム三昧で、僕がこの後を追いかける形で進んで行った。先にストーリーを展開していく里香は、僕が追いついたところまでしか話題にしないでいてくれて、また僕の方も、「ふ」だのなんだの生徒たちから仕入れた裏技の類いは里香がクリアするまでは黙っていた。お互いのゲームにおける楽しみ、感情移入の邪魔をしないように配慮していた訳だ。そして共通で話せるところに関しては、二人で熱く語り合ったのだった。お互いの立場を尊重しつつ、価値観を共有できるところでは大いに楽しむ、という理想的な人間関係が構築されていた訳で、そういう意味では夫婦円満の大いなる助けになった「桃伝」である。しかし、結婚して何日かは夕食を作ってくれていたが、それも
「ごめん。ももちゃんやってた」
という理由でだんだんやらなくなり、いつのまにか料理は僕の担当になっていった。次に夢中になったスーパーマリオになるとアクションゲームなので手が離せない。
「ごめん。今話しかけないで。飲みに行っていいから」
となり、やっと手に入ったドラクエに至っては、塾から帰宅してもゲームに夢中で目も合わせてくれず、
「あ〜。今無理」
としか言わなくなった。ほぼ無制限に飲みにいけるので、僕にとっても都合がよくなり、文句は言わずにしたがった。後にドラクエの2作目だったと思うが、うちに戻ってもどうせ夕食はないので、塾から直接飲みに行って深夜に帰宅すると、テレビの前で里香がうつぶせの状態のまま、畳の上で眠っていた。画面は戦闘モード、右の親指はAボタン、左の親指は十字キーにかかったまま、まるで自分自身が戦闘で力つきたかのように行き倒れみたいになっていた。こいつ何時間ゲームやってたんだ、とあきれたが、そのまま放っておくわけにもいかず、揺り起こしたら
「あ、おかえりなさい。今、何時?」
と寝ぼけまなこでいう。二時を過ぎてる、と答えると
「わ、・・八時間・・・」
だと。こいつバイトが終わったら速攻でうちに戻り、何もかも後回しにしてゲームを始めたようだ。そういえば服も着替えていない。怒る気にもならず、情況を笑ったら
「わたし、行き倒れみたい?」
と自分でも言っていた。そのドラクエと小6の生徒たちの反応が、後に僕にとって人生の大きな転機をもたらすことになる。人生とは面白いものだ。

 後に、ロールプレイングは二人とも楽しんだが、僕は歴史シミュレーションや格闘ゲーム、里香はアクション系と好みが別れていった。でも、初期の一緒にやっていたゲーム、とりわけ最初にやった「桃伝」は、里香の中でも二人で夢中になったいい思い出として心に残っていたようである。「ももちゃん」を思い出してから、ゆっくりゆっくりではあるが、芋づる式にいろいろなことを思い出し始めた。そして過去の記憶を思い出すことと併行して記憶力も徐々に回復していき、昨日のこと、一昨日のこと、三日前のこととだんだん覚えていけるようになっていった。起きている時間も増えていき、面会にいったときに寝ていることはほとんどなくなってきた。声は相変わらず出ないままなのだが、初めの頃は筆談させようとしても、ふにゃふにゃな線を少し書いただけで、もうしんどくなって止まっていたのが、だんだん字も絵もまともになってきた。字は元々おかあさん譲りのきれいな字を書いていたし、実は里香は絵が上手でまた書くことも好きだった。好きなことだったし、脳のリハビリにもいいか、と思って白紙のノートと鉛筆を渡しておいたら、これが面白いものになった。最初は、なにがなんだか分からない線が2、3本の絵とも言えないような(落ちていた髪の毛のスケッチかと思うような)代物から始まって、日を追うにつれ、幼児の成長過程を見るような具合にだんだん意味がわかるものになっていき、10ページを過ぎるあたりからは、小学校高学年くらいの絵になった。ナオの絵を記憶スケッチで書いたものも登場し、こりゃうなぎかよっというくらいの胴体の長さに笑ってしまった。本人は笑わせようとしている訳ではなく、真剣に書いているのだが、技術や考える力のどこかが未回復なのだ。そのうち、先生にノートを隠すようにしたので、先生が僕に中身を教えて欲しい、といってきたことがあった。見てみるとそれは先生の似顔絵だったのだが、思いっきり不細工な顔になっており、あくまで先生に似せようとしていたのであって、悪意はないものの、こりゃ見せられんわ、と僕も思った。10%くらいは似ているからバランスとして一番質が悪い。しかし、元々の絵の上手さからはほど遠いものの、ここまで書けるようになってきたことはかなりの進歩といってよかった。字もよくなってきたが、まだ文章までは書けない。単語中心で、字数の多い漢字もない。丸きり子供の落書きノートのようだが、本人が一生懸命書いているので、子供のいない僕にとっては、このノートがなんだかいとおしいものに思えた。

 そうこうしているうちに、何日かが経ち、ついに声の出る日がやってきた。といってもほんの少し、アーという声が出ただけであるが、初めて声が出た瞬間は正直、感動した。本人の地声にくらべてずっと低い音程で、しかもかすれてはいたが、声質は里香のものだったし、僕の目の前で、初めて声を出したのでうれしさもひとしおだった。先生やスタッフの方からも驚きと歓声があがり、本人もうれしそうだった。その次の日、先生から初めて一般病棟への移行について具体的に話が出た。諸々の回復情況をみて、慎重に判断するとのことだったが、ICUというのは緊急のための施設であって、里香は随分長くここにいた。できれば、早期に移行した方がいろいろな意味でよいだろう。毎日通ってきた部屋であり、本当にここのみなさんには感謝の思いが強くあって、僕としても名残惜しい気持ちだが、いつまでもそうは言っていられない。いつかはここを出て行くのが正しい道筋なのだ。うちで、おかあさんに報告したら、おかあさんも僕と同じ気持ちだった。生きているのかどうかも実感できない状態から、今の段階まで回復させていただいたことを考えれば、感謝の気持ちは言い切れないくらいだし、それに先生、スタッフのみなさんともお別れとなるとやはり寂しいのだった。回復はうれしいがみなさんとの別れは寂しい。卒業式の準備のような気持ちになった。とはいえ、まだ先の予定で、里香はまだベッドから降りたこともなかった。ICUを出る最終段階の回復までもう少しかかるようだった。



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