2016.09.07   Glory    9
 次の日、午前の面会にいったとき、先生から、今日の午後に婦人科の方に移動が決まったと言われた。予定時間では僕はバイトに行かなければならないので、おかあさんに任せることになる。移動にあたってのいろいろな説明を聞いた後、改めて先生、そして看護師のみなさんに一人一人お礼を言ってまわった。どなたも笑顔でよろこんでくださった。このとき里香は最近では珍しく僕の面会時間なのに寝ており、僕がみなさんにお礼を言っていたことは知らずにいたが、そんなときにグ~グ~寝ているのもまた里香らしかった。以前とは寝ているにしても印象が違う。意識がないかわいそうな寝姿なのではなく、こいつ気持ち良さそうに寝やがって、という感じだ。帰宅して、おかあさんに先生から聞いた説明を伝えて諸事を任せ、塾へ行ったのだが、やはり気になったので授業後に急いで病院に向かった。婦人科の一番奥の方に案内されたら、そのまた奥のベッドに里香がいた。どうも大奥の大局さまのようでエラそうな感じがしたが、そもそも里香はでかいのでどこにいてもそんな感じはしてしまうのかも知れない。本人もまだ慣れないようで、なんだかよそ行きのような感じがすると言っていた。いよいよICUを出るときのことを聞いたら、ちゃんと覚えていて
「わたしもおかあさんもないた。みんなはなかないでえがおだった」
とささやいた。
「ちゃんとお礼いったよな?」
ときくと
「うん」
と素直に頷いた。なんだかいい子になって戻ってきたような感じがする。以前なら
「当たり前でしょ。ちゃんと言ったわよ」
くらいの返答をしていたように思う。このところ、表情も人間らしくなってきているのだが、どこか邪気がないというか、純真無垢な感じがする。こいつは元々はこういう性格だったのか、それとも一度命を失いかけて心の中の悪い部分をあちら側に落としてきたのか。
 塾の授業後で来院が遅かったため、新しく主治医となった先生とはお会いできず、明日にご挨拶をすることにして、しばらく里香と過ごした後、帰宅した。うちに帰ってから、おかあさんに、里香は元々は素直な性格だったのですか、というような意味のことを聞いてみた。するとおかあさんは
「ずっと素直よ。口答えばっかりしてるみたいに思うかもしれないけど、あの子は昔から根は素直よ」
とおっしゃった。たしかに言われてみればそうなのかもしれない。これまでよく言い合いになっていたのは、僕の目線が低く、里香と同じくらいで見てきたから、兄弟喧嘩のようになっていたのかもしれない。おかあさんのように大人の目で上から見れば、元々素直だったのかもしれない。ただ、これは僕自身についても言えることだが、里香は物事を適当にいい加減に考えておく、ということが嫌いで、言わなくてもいいようなことまで人に言って相手の気を損ねてしまうケースがままあった。まあ、視野が狭いというか若かったというか、僕らはそういう点で似た者夫婦だったのだろう。それが、このところなにかひとつ皮が剥けたように、きれいな心で純粋になっているように感じる。

 今までは心肺停止の緊急事態からの脱出が治療の第一で、その延長戦のようなICUでの日々だった。これからは、そもそもの原因と思われる子宮内膜症に伴う癒着とかまだわからない何かを調べて、これを治療していくことになる。新しい治療計画もあるだろうから、その点の説明も受けることになるはずだ。そんなことを考えていると、新しい主治医の先生に会うのにちょっと緊張してきた。あくる朝、婦人科にいってお会いしてみると、意外や意外、とてもきれいな若い女性の先生で、気さくな感じの方だった。MRIやCTなどの写真検査の他に、体力の回復を待って、おそらくは開腹手術をして確かめる可能性が高い、ということなどを説明された。そういう硬い話も大事なのだが、予想に反して美人の女医さんだったことがうれしくて、どうもにやけていたらしい。婦人科のステイションからベッドにもどると、里香に
「せんせい、きれいだったでしょ。よかったわね」
と言われた。里香はこういうときにとやかく言う方ではなく、結構おおらかで、また自分も美人の女性を見るのが好きだ。反面、男の好みは所謂「イケメン」はあまり評価しない方で「外見より中身」という方である。おかげで僕にもチャンスがあった訳だが、それはともかくとして、新しい環境でいくばくかの緊張もあった僕ら夫婦にとって、気さくな先生で助かった感があった。

 さて、体力の回復にはリハビリも欠かせないが、重要なのは食事であった。まだ数日は点滴で様子をみて判断するそうだが、まもなく口からの食事にスイッチしていくことになる。意識がゼロの状態から始まって、ずっと点滴で栄養を取ってきた里香は、空腹という感覚を忘れているようだが、自らの胃腸を使っての消化吸収活動が始まると、空腹とか満腹とかいろいろ感じ始めることだろう。元々里香は体が大きいので、女性としてはかなり食べる方で、本来は僕とそんなに変わらないくらい食べる。しかも味覚が鋭く(これはおとうさん譲りだそうだ)、味にうるさい。一度生死の淵をさまよった人間なので、回復後も同じなのかどうかはわからないが、以前のままだとすると、病院の食事に何らかのいちゃもんをつけそうな悪い予感がする。精神的にいい子になってるようだから、ひどいわがままは言わないかも知れないが、果たしてどうなるのであろう。ちなみに倒れる前の里香は、味にうるさいといっても、高級なものしか認めない訳ではなく、よくいわれるところのB級グルメ的な面もあった。ジャンク・フードにもいろいろ好みがあってうるさいのだ。インスタント・ラーメンの銘柄にもこだわりがあり、しかも麺の茹で加減にものすごくうるさい。さらに半生麺のラーメンをインスタントのときと同じ要望なのかと思って作ったら、えらい怒られたこともある。
「インスタントと半生麺ではものが違うでしょ」
というのだ。だったら自分でやれよ、という訳で、この他にも調理の加減について、何回喧嘩になったかわからない。ただ、カレーやお好み焼きといった僕がこだわりを持っているものについては絶賛していた。まあ、これらは本当に美味しいんだから、当然なのだが。
  
 婦人科に移って3日目の朝から重湯による食事が始まった。僕もいつもよりかなり早めに来て、復帰後初めての食事に付き合うことにした。昨日までは食事の話題をしても
「ああ、そう」
とそっけない返答で、興味がないようすだったが、いよいよ目の前に持ってこられると、何かが目覚めたようで
「わ〜〜〜い。いっただっきま〜〜す!」
と育ち盛りの子供のようにうれしそうに言った(といっても声はまだ出ず、ささやきであるが)。初めのひと口、ふた口こそスプーンで啜ったが、すぐにお椀を口に持っていって飲み始めた。
「里香さん。ゆっくり、ゆっくりですよ」
という看護師さんの制止も聞かず、一気に飲んでしまい、
「あ〜〜、のんじゃった〜〜。おかわり」
と早速2杯目を催促した。
「おかわりはないですよ」
と言われたのに気付かないのか
「おかわりください」
とまた言った。わかっとらんのか聞こえなかったのか、しかたないので僕が
「初めだからここまでなんだって。おかわりはないの」
というと目を丸くして
「え? エエ〜〜〜〜〜〜! おかわり、、ないの〜〜〜? エエ〜〜〜? こ、これだけ・・・・・」
といったきり、おわんの内側を見たまま、固まった。
「少しずつ量を増やしていきますからね。次はお昼にまた」
という看護師さんの声を果たして聞いているのか、いないのか、お椀を手から下げられても、ポカンとした表情のまま口を半開きにして目は中空に停止してなにも語らず、以前から本人が得意としていた「水族館の寝ている魚のものまね」のようになってしまった。看護師さんが食器を持って引き上げてしまってから
「はじめてのごはんが、、、あれだけなんて・・・」
とようやく言葉を発した。
「しょうがないだろ。今まで胃腸を使ってなかったんだから、いきなり普通の量を取ったらお腹こわしちゃうだろ」
「・・・もういい。なんにもかんがえたくない。おひるまでねる・・・」
そういって、本当に仰向けになって眠り始めた。なんて奴だ。昨日まではまるで感心を示さなかったのに急に食欲に火がついたのか食べること以外に興味がないかのようになりやがった。まあ、健康に一歩近づいたというべきなのかもしれないが。

 お昼の2度目の重湯をどういただいたのかわからないが、夕方のときはおかあさんの前で
「ごはんください。こんなんじゃなくて、ごはん。おねがいします」
と看護師さんに何度も懇願したそうだ。しょうがないので、おかあさんもナースステイションにまで掛け合って、重湯じゃ、本人が納得しないので明日からは七部粥くらいにしてもらえないかと相談したそうだ。病院の一般的なスケジュールよりも里香の変化が急速なのだろう。昔からなんでも規格外の女ではあるが、今回もまた、そのようだった。
 そしておかゆを食べるようになって数日が過ぎた頃、おかゆに野菜の茹でたものを与えられ、食べているときについに僕に不平を言い出した。
「ここって、なにもかもおいしくないのよね。」
「何言ってんだよ。先生がちゃんと計画立ててくださってるんだから文句言うなよ」
「じゅんはふつうにおいしいものたべてるからそういうのよ。おかゆも、このやさいも、なんだかパッとしないあじだわよ」
「美味しさは二の次だろ。まず、栄養とって体力つけなきゃあかんのやから」
「こんなあじけないもので、パワーつくきがしない」
実際、そうなのかもしれない。食べる楽しみが持てない食事よりは、美味しく食べるものの方が身に付く感じは確かにある。しかし、病院に「美味しくないから身に付かない」とも言えない。まあ、もうちょっとの間、がまんしてくれよ、と思ったとき、
「あ、じゅん。ゆかりかってきて」
と言い出した。
「ゆかりって?」
「ごはんにかけるふりかけの。むらさきのやつ」
あれは僕も大好きだ。あれのおむすびなんて、心が躍る、とまでは言い過ぎだが食欲をそそるのは確かだ。しかし、メニューは病院で計画されたもので、勝手に逸脱する訳にはいかないだろう。
「あかんて。そんなんバレたら叱られるやろ」
というと、悪巧みを考えるときのあの薄ら笑顔になって
「だいじょうぶよ。ばれないようにするから。いまからコンビニでかってきて」
と悪魔の誘惑をする。バレないようにって、口の中が紫色になってたらバレるだろう。昔、まだ幼稚園生だった弟が近所の桑の実を食べてはいけません(農薬のことだろうと思う)と言われていたのに食べまくって、母に
「口を開けなさい」
と検閲され、思いっきり紫のべろを見破られ、叱られていたのを思い出した。
「そんなのあかんよ。あかんて・・・」
と渋る僕のお腹をベッドに寝たまま、足で軽く蹴りながら、
「かってきてよ。はやくかってきてよ。かってこいよ。いけよ、はやく!」
とせかし出した。こうなったら、逆らわない方がいい。強要された僕には責任はない、と自分に言い聞かせて(そんな訳はないが)、病院の近くのコンビニでゆかりを買ってくるはめになった。里香に渡したら、
「ありがとう。これでわたしはげんきになるわ」
と適当なことを言う。
「バレたら知らんぞ。俺は逃げるぞ」
「なにいってんのよ。にげられるわけないでしょ。あなたもきょうはんよ」
勘弁してよ、もう。

 確かに病院食は塩分控えめで、物足りないのかもしれない。しかし、いかに里香が規格外とはいえ、やってはいけないとわかっていることをやらされた罪悪感は否めず、かといってナースステイションに懺悔する気もなく、うちへ帰ってもおかあさんにこのことは言えず、悶々とした夜を過ごすことになった。
翌日、少し遅く見舞いに行ったら、
「じゅん、ゆかりかってきて」
という。あれ?随分、記憶力も戻って来たと思っていたのに、まだ昨日のことが覚えられないのか、とやや落胆したら、
「きのうのはもうたべた」
という。ええ? 毎食お椀一杯のおかゆなのに?
「どんだけたくさんかけたんや?」
と聞くと
「おかゆにかけたあと、かくれてゆびですくってなめた」
という。はあ? おかゆにかけるのも御法度なのに、ゆかりそのものをなめた?しかもおそらく九割以上は残っていただろう量を全部? あきれた。しかもまだ飽きずに買ってこいという。「毒食えば皿まで」という言葉を自分にも里香にも当てはめて、二つ目のゆかりを買いにまたコンビニへと向かった。



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