2016.11.14 Glory 12
 体を鍛えるモードに火がついた里香は、食事や睡眠にもリズムが出てきたようで日ごとに元気になっている。朝何時に見舞にいってもすでに起きており、ベッドの端に腰掛けて手足の運動なんかをしながら僕を待っているようになった。いろいろな神経にいい刺激があるようで、Rの発音に関しても、やや子供っぽい感じは残るものの随分よくなったと思う。歌い手としてのキャリアを復帰させたい僕としてはうれしい傾向だ。記憶力に関してもほとんど心配は要らなくなった。むしろ前の日にあったことをよくしゃべってくれるようになっている。
「きのうもきょうも、かんごしさんがふっとばす・・・」
とか言うので、また何をバイオレンスなこと言っとるか、と思ったら「フットバス」を用意してくれて足湯に浸かって気持ちいい、という話だった。確かに足湯はいいと思う。気持ちいいし、足を温めることはよくわからないが何かいい循環を生み出すような気がする。気が付いてみれば、リハビリセンターに通い出して数日ながらいつのまにか自分で立ち上がるようになっていた。まだ立った姿勢も不自然と言うか、ひざが伸びていない感じなのだが、細長い体で不安定に立っているその姿は、宮沢賢治直筆の「月夜のでんしんばしら」の絵を連想させた。本人は至って意欲的で、あの絵のような暗い印象はないのであるが、どこか普通に立っているのとは違う感じが残っている。こういう事を思ったまま当事者に言ってしまうので、僕は「困った人」なのだろう。今回は自分でそれに気付いていたので、里香には言わないでいた。なにせ頑張っているのだから、変な格好だ、なんて言ったら傷つくし、逆に褒めてやらなきゃいけない。多くの人がそうだろうと思うが、叩かれて「なにくそ!」と頑張るタイプというより、褒められて頑張るタイプで、むしろ叩かれると「あ〜もうやだ。や〜めた」となってしまう。その点で言えば、三人の看護師さんはよく心得ておられるようで、里香を励ましたり、のせたりするのが上手だ。いつもよくしゃべっている桜井さんはもとより、何かにつけ
「里香さん、すご〜い!」
と表情豊かに言ってくれる安田さん。いつもクールで余計なことを言わないからこそ
「すごいですね」
の一言が心に響く谷さん。三者三様の対応で盛り上げてくださる。

 リハビリセンターの先生から
「回復のスピードが速いですねえ。元々運動神経がいいんでしょう」
と言われた。その通りかと思う。本人から聞いた話であるが、中1のとき、ある水泳のコーチから、国際大会に出れる選手に育てるから是非うちに来て欲しい、とスカウトされたことがあるそうだ。水泳は習ったことがないのにである。そのときは、お琴の練習があるから、という理由で断ったそうだが、本人曰く
「そんな根性の要る話、わたしには向いてないわよ」
と言っていた。大体、お琴の練習だってそんなハードにはやっていなかったと想像する。音感のいい里香はそこそこにやっていればなんとかできてしまうし、あの性格で地道な努力を続けていたとは考えにくい。興味が湧けばなんでもとことん集中してやるのだが、ちょっと飽きるとパッタリと止めてしまう。まあ、僕も同じようなもので、子供の頃、嫌々やらされていた僕のヴァイオリンの練習ときっと似たり寄ったりだろう。ただ僕は母親と口喧嘩になった勢いで
「こんなもん、やめたるわ!」
「ああやめなさい!今から先生のとこ行ってやめてきなさい!」
となってしまい、前言撤回するのが行きがかり上、できずにやめてしまったが、里香の場合はそこまで嫌でもなかったのかと思う。ずっと古典の箏曲演奏家なのだということを自分のアイデンティティーにしてきていたので、いつかはお琴の方も復帰してもらいたい。それに舞台に上がるレベルまでではなくても、楽器に触ることはいいリハビリにもなるんじゃないかと思う。しかし今はまだ、本人が一生懸命になっているセンターのメニューに集中してもらえればそれでいい。
 センターの先生から、僕が手を引くことを条件にセンターの周りをぐるっと歩いてくることを勧められた。もちろん本人はやる気満々である。センターの出入り口からワンブロックを一回りしてもどるだけであるが、車いすなしでの外の移動は初めてだったので、いよいよきたぞ!という盛り上がりがあった。スタート地点で車いすから立ち上がって、ゆっくりゆっくり一歩一歩を確かめながら歩き始めた。倒れないようにしっかりと僕の両手を握る里香の握力が確かに少し前とは違い力強くなっていた。その手も少しずつ力を抜いていき、僕にすがるような感じから、だんだん自分の脚力で歩くようになってきた。僕は後ろ向きなので進行方向を振り返りながらの後ろ歩きである。ゆっくりながらもだんだんリズムが出てきたので、一歩ずつ声をかけながら進んだ。
「右、左、右、左・・・・・」
里香も一緒に
「みぎ、ひだり、みぎ、ひだり・・・・・」
と声を出しながら歩いていたが、突然、立ち止まって僕を見ながら
「あれ? みぎってどっちだっけ? わかんない。これでいいの?」
という。僕は里香から見ての右、左を言っていたのであるが、対面での左右について考えてしまってわからなくなったのだろう。しかし別にかけ声と動作の左右が違ったっていい。細かいことにこだわる性格は相変わらずだ。
「どっちだっていいよ、そんなもん。じゃあ、ワン、ツー、ワン、ツーにしよう」
「うん」
と言って再び歩き始めたがいきなり
「わん、つー、すりー・・」
と言って止まってしまった。
「おまえ、ギャグか。こんなときにいきなりボケをかますなよ」
と笑ったら、里香も笑って
「ちがうちがう。ほんとにまちがえたのよ。ボケなんていれないわよ。あなたじゃないんだから」
という。気が付いたら周囲の見ず知らずの人たちもクスクス笑っていた。
「あら。めだっちゃってる?わたしたち」
「いいよ。今さら。じゃ自分の好きなかけ声でいこう」
「うん。じゃあ・・・」
と言って歩き始めたかけ声が
「ほっ ほっ ほっ ほっ ・・・」
だったので、こらえきれずに笑ってしまった。おさるの籠屋だホイサッサのような、往年の名コメディアン佐山俊二のような、なんともいえない滑稽さのそのかけ声のまま、ふたりで笑いながらセンターの周りを一周してきた。そして出入り口に戻ってきたそのとき、
「あわわわわわ・・・」
といって里香がまさに大木が切り倒されたように斜め前に倒れていった。僕もあわてて救おうとしたが、たまたまそこに通りかかった女性の看護師さんに支えられてなんとか倒ける寸前で助かった。
「すみません!ありがとうございます!」
「いえいえ、どうぞお気をつけて」
「あ〜〜〜こわかった〜〜〜! めちゃくちゃこわかった〜〜!」
という騒ぎに気が付いて先生が飛んでこられた。
「大丈夫ですか?」
「はい。なんとか」
「最後まで気を抜いちゃだめですよ」
「すみません」
まあ、事なきを得たのでよかったが、いろいろと派手な女である。しかし、足が限界近くに来ていたのかもしれない。なのであとで「よくがんばった」と褒めてやることにした。

 さて、そんな日々を過ごす僕に、思っても見なかった新しい出会いが訪れた。
いつも塾の後にいく、行きつけのバーで出会ったのであるが、初めて見たその瞬間から心をビ〜〜〜ンと射抜かれてしまった。その後もことあるごとにその話をしたがる僕にバーのマスター西ちゃんは
「純さん、もう恋しちゃってますよね」
という。そうなのかもしれない。しかし今の里香にそんなことを話せるだろうか。なんて打ち明けたらいいのだろう。今はまだ一方通行の片思いだが、日に日に思いはつのる一方で、あきらめることなんてできそうにない。誰にも相談できないし、ここはもう、覚悟を決めて言ってみることにした。だがしかし、いざとなると勇気がなく、その話には触れずに帰ってきてしまう。里香の前では努めて平静を装っているが、女性は敏感だ。僕の言動の何かに変化を感じ取って、察してしまうかも知れない。ここは男らしく自分から言い出そう。僕を一瞬で虜にしてしまったそいつの名は、Kawasaki のW650だ。西ちゃんも元バイク乗りでKawasaki のGPZ900に乗っていたそうで、彼が持ってきていたバイク雑誌でW650の写真を見つけて、その瞬間に声をあげた。
「おわあ〜、かっこいい!!」
大学時代にオフロードのバイクに乗っていたのだが、その頃、大阪のある交差点で、信号待ちしていた僕の後方から聞いたことのない質感のエグゾーストサウンドとともに現れたのが、昭和の名車W1SAであった。バン、バン、バン、と一発一発の破裂音が独立して聞こえる独特のそのサウンドと、なんともアナクロなイメージのフォルムに耳と目を釘付けにされたのだった。それから約20年の歳月を経て、バイクから遠離っていた僕の知らない間に、Wの伝統を受け継ぐW650が開発されていたのだった。子供の頃に憧れつつもどうにも手が届かなかったクラスⅠの美人が20年後に素敵な大人の女性になって目の前に現れた。そんな感じである。今までバイクに対する興味を忘れていたのでわからなかったが、気が付いてみるとうちの近所にも2台、病院の駐車場にも1台、W650が停めてある。いつも羨望のまなざしを送りつつ、今日はあるかな、どこに停めてあるのかな、そんな思いでWを探すようになってしまった。これを見た西ちゃんが「恋してる」と表現したのは、まさにバイク乗りならではである。そしてついに病室で里香にいってみた。バイク本体も欲しいがまず、免許である。僕は中型2輪しか持っていない。W650は排気量675ccの大型2輪である。里香がこんな大変な時期に、大型2輪の免許を取りたいなんて言い出せなかったのであるが、思い切って言ってみると、
「いいわよ。わたしのことばっかりになってたから、じゅんちゃんがなにかにせっきょくてきになってくれるのはうれしい。」
と言ってくれた。いや、見直したぞ里香。おまえはえらい! 西ちゃんが限定解除をとった頃と違って、今は教習所の講習で大型2輪がとれる。20年も乗っていなかったのでカンも腕も鈍っているだろう。一からやり直すつもりで始めることにした。



 
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