2016.12.19 Glory 13
  里香が後押ししてくれたので、何ヶ月ぶりにかで外の世界にも目を向けることができた。考えてみれば、ずっと病室とうちの往復で、塾のバイト以外はたまに近所のバーへ飲みにいくくらいしかしていなかった。実をいうと尊敬する先輩方から尺八の三重奏でカバー曲をやるからとアレンジを頼まれていたのに、それも待っていただいていた。だから、バイク云々の前にこれをあげてからでないとどうにもならない。そう思ってキーボードの前でがんばってみたが、驚いたことに、どうにも音が浮かんでこない。こんなことは今まで未経験だったが、本当に頭の中から音がスッカラカンに消えていて、一小節どころか、一音も出てこない。何時間ねばっても何日経っても事態は変わらず、自分が気が付かないうちに酷い状態に陥っていたことをようやく知った。リハビリが必要なのは里香だけじゃなかったのだ。制作担当の先輩に電話したら

「しょうがないから、まあ待つけど、出来るだけ早くに頼むよ」

と言われた。ありがたいことだ。普通こんな事態で待ってくれるなんてない。申し訳なくて涙がこぼれたが、このまま、全く書けない人になってしまったらどうしよう、と思うと心に暗雲が立ちこめた。バーのマスター西ちゃんが僕を励まそうとして

「大丈夫ですよ。きっと一時的なものだと思いますよ。大変なことが起きたんだし。里香さんが元気になってきたら変わるんじゃないかな。うちで飲んでるときは純さんのお好きな曲かけますから、感覚取り戻しましょう」

と言ってくれた。まったく、自分と来たら情けない。ダメ人間の代表みたいなもんだ。なのに周囲の人にはご厚意ばかりいただいて。自分は人に恵まれてるな、とつくづく思った。

 周囲の人といえば、いろいろな方に心配をおかけしているに違いなかった。バンドの相方のリョウさんや塾の校長の西川さんを通じて音楽関係と塾関係の友人には大まかな情況は伝わっていると思うが、それでも、というかそれだからこそ、心配してくださる方にできるだけ情報はお伝えした方がよかった。ただ、女性が入院した場合なので、お見舞いはもう少し待っていただいた方がいいように思う。男性はともかく女性であっても入院中の姿は見られたくないだろうし、また、お見舞いに来られる方も気を使うかもしれない。という訳で、メールをマメに出すことにした。少しでも多くの方に回復の段階にあることを知っていただくために、できるだけ毎晩メールを書くことにした。みなさん、あたたかいお言葉を返してくださったが、その中でバンドのデザイン関係をおまかせしているミサちゃんと、その旦那のケイスケが長文の返事を送ってくれた。ケイスケは僕らのバンドのマネージャーをやってくれている小林 至の親友でその奥さんがグラフィックデザイナーのミサちゃんだ。彼女のデザインを僕らが気に入っていつも彼女にお願いをして何年かになる。そんな彼らからのメールを読み、本当に随分心配してくれてるんだな、ということがありありと伝わってきて、ありがたく思うとともに強く励まされた。里香とミサちゃんはそんなに深いつきあいじゃないはずだ。元々関西にいたし、ここ何年かバンドのライブや打ち上げなんかで会うくらいだっただろう。それでもあんなに心配してくれて、感謝の気持ちでいっぱいになった。かつて、まだあの二人が結婚する前、僕は彼女があまりに美人なので、恥ずかしくてちゃんと目を見て話すことができなかった。というかまともに話もしないでいた。申し訳ないが彼女はそんな僕を見て、自分は純さんに嫌われてる、と思ったそうだ。二人の結婚後、ケイスケの仕事の関係で、関西から東京にやってきて、一緒に飲んだりする機会も増えてきて、ようやく普通にしゃべれるようになった。やっと打ち解けて話せるようになった頃、ライブの打ち上げで里香も一緒に飲んでいるとき、

「わたし、純さんにはずっと嫌われてるんやと思ってました」

「なんでやねん!」

「だって、全然目も合わせてくれへんかったやないですか・・・」

すると里香が割って入って言った。

「ア~、違う違う。それはミサが美人だからよ。きれいな人だと面と向かって話すのが恥ずかしくて出来なくなっちゃうの。この人いつもそうなのよ。わたしなんか随分無視されてたわ。なんせ・・わたしったら美人なもんだから。あっはっは」

「エ~、ほんまですか。でもそれやったらよかったです。でも自分で美人ていう里香さんて・・・エエわあ~」

その夜は僕と里香とリョウさん、至、ケイスケ、ミサちゃんの六人で楽しく飲み明かした。

 メールを送るのは、だいたい僕の友人関係に限られていた。里香のお友達の連絡先を知らないし、本人に聞いても自分が倒れる以前のことはあまり覚えていないようだ。しかし、彼女の手帳を勝手に見るわけにもいかず、一度、病室に本人の手帳を持っていって、誰某に連絡すればいいか聞いてみたが

「ん~~。あなたにまかせる。だれがどうだったか、あんまりわかんない」

と言った。そうなのかもしれない。意識が戻って、記憶も回復しつつあるとは言え、それは毎日会っている家族の範囲の記憶に過ぎない。そこで、昔からの友人で僕も面識のある人にメールや電話をしてはみたが、それ以外はわからないので、仕方なくそっとしておいた。ここで一人どうしようか判断に迷った人がいた。里香の一番の親友、由里ちゃんだ。同じ合奏団のメンバーでもあるので、情報は伝わってはいると思うが、本来なら何かあったら、真っ先に電話する相手だ。しかし、何が原因かは知らないが、仲が良過ぎて兄弟喧嘩のようになってしまったらしく、里香が倒れる数ヶ月前に

「もう由里ちゃんとは絶交した。話したくない」

と言い出した。バカなことを言うなよ、と思ったが、僕が割り込んでもきっとろくなことにならないだろう。元々お互いが大事に思っている仲だと知っているので、時間にまかせておくのが一番いいと思った。女同士だって、喧嘩して時間が経って、もっと仲良くなる事はあるだろう。しばらくは意地の張り合いみたいな日が続いても、きっとお互いが求めあう日が来るはずだ。里香と由里ちゃんはそれでほんとに大切な親友になれる。そんな気がしていた。しかしそんな矢先に里香が倒れて心肺停止に陥った。意識がなかった間は家族以外の面会はできなかった。意識が戻って少しずつ回復してきた今、もしかしたら由里ちゃんは里香に会いたがっているかも知れない。しかしまだわだかまりが氷解するには早いのかもしれない。大体が人間関係の機微に疎い僕には判断が難しすぎた。里香に聞いてみたら

「あ、そうだ。ゆりちゃんねえ・・・・」

と言っただけだった。僕が感じたところでは喧嘩したことは覚えているが、何が喧嘩の始まりだったのかは覚えていないようだった。今の里香はどこかつきものが落ちたように素直になっているし、これをきっかけに仲直りできればいいのになあ、と思うが、まだ一般の面会をできるには早いし、慌てなくてもいつかお互いが大切に思っていることを確認しあえる日が来るだろう。そう思ってそれ以上僕からはなにも言わなかった。

 バイクの大型免許の話であるが、病室への見舞いと塾の授業でほぼ埋まっている今の生活リズムでは教習所通いもままならないので、とりあえず、無理のない日程で行けるときにだけ行くようにして、本格的には里香が退院してから通うことにした。お金も入院費にどれだけかかるか未知数だし、ガンガン通ってさっさとバイクを買っちゃう余裕も我が家にはなかった。リハビリに日々勤しむ里香だったが、先生から、回復が順調なので、いろいろMRIやCTなどの検査を始めて、そろそろ開腹手術に備えたいというお話があった。いよいよだなあ、という感じだが、当の本人は

「あ~、はいはい」

と、あっさりしたものだ。度胸がすわっているのか、よくわかっていないのか、毎日のリハビリと仲良しの桜井さんとのおしゃべりに夢中で、それ以外のことはポカンとしていた。

 そんなある日、僕のいない時間にMRIの撮影検査があり、桜井さんが担当で里香を連れて行ってくれたそうだが、いざ撮影というとき、急に可笑しくなったらしく、あのグルグル回る磁気カメラの付いたベッドでケラケラ笑い出したという。大袈裟なでかい機械に囲まれて寝たまま動くという情況と、あのカン!カン!というけたたましく大きな音を立てるカメラの異様さに笑ってしまったらしい。桜井さんもそれが伝播して声を上げて笑っていたというから面白い。常日頃見慣れた彼女にさえも、その滑稽さが伝わってきたのだから、里香はかなり可笑しかったようだ。また、笑ってはいけない、というシチュエーションも笑いを増幅させたのだろう。何事であれ深刻に考えれば、暗くなるようなものでも、あっけらかんとしていればそこに笑いも生まれる。今の里香は真っ白な感じで、子供のような目線なのだろう。桜井さんだけでなく、安田さんのときもなにかにつけ可笑しなものを見つけては、看護師さんとケラケラ笑っている。谷さんはクールなのでニコニコして黙っているが、里香はおかまいなしに笑っている。

 

 それから何日か立ったある日、年配の男性の先生が、いよいよ開腹手術というので、詳細を説明しに病室までやってこられた。






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