2017.05.11 Glory 17
 手術後の経過は順調で、予定より少し早くリハビリに復帰した里香だったが、初めてリハビリを開始した気合いのこもったあの頃とはやや違い、毎日、淡々とメニューをこなしていた。成果の方はちゃんと出ていて、若干の違和感の残る歩き方ながら、ゆっくりなら自分で歩けるようにまでなってきた。病院の外では、季節が変化を続け、去年の秋から、冬を越え、そろそろ春が近づいてきたことが日差しや風の感触に感じられるようになってきた。大きな窓から日の光を取り入れて、温室効果のようになっている病室に居ると、なんだかポカポカとして眠くなってきそうだ。そんなある日、リハビリの後、里香は病院から与えられた昼食、僕はコンビニで買ったおにぎりを一緒に食べて、しばらく他愛もないおしゃべりをしていたら、本当に眠くなってしまい、里香のベッドに乗っかって並んでいたら、そのまま二人して熟睡してしまった。3時間くらい寝ていたようで、たまたま病室に来た桜井さんに起こされなければ、塾に遅刻していたかもしれない。
「桜井さん、ごめんなさい。勝手に病院のベッド使っちゃって」
「ああ、いいんですよ、そんなの。でもお仕事の時間じゃないかと思って」
「ありがとうございます」
慌ててバイトに行った僕は知らなかったが、翌日、里香から聞くと、二人で並んで熟睡しているところを、看護師さんは三人とも見ていたらしく、少しからかわれたそうだ。三人とも独身なので、気持ち良さそうに仲良く寝てるところをうらやましく思ったのかもしれない。でもまあ、そもそもみんなが働いている時間に、ポカポカ陽気で昼寝していたら、からかいたくもなるか。そんな風にまったりした日が何日か過ぎた頃、主治医の美人先生から、いよいよ退院の話をいただいた。自宅から通院できるようになったとの診断で、そうなると早いうちに退院した方がいいので、明後日以降、こちらの都合のいい日を決めて欲しいと言われた。長い間、入院していたので、急な話に感じたが、病院はホテルではない。病室を必要としている次の人にベッドを割り当てなければならない訳で、おかあさんと相談して、入院費用もかかることだし、仲良くしていただいた看護師さんや先生方とは名残惜しい気もするが、善は急げ、ということにして、もう明後日に退院することにした。

 入院費用と言えば、実は年末に一度、それまでの費用を決済したことがあったが、大変な額になっており、正直、聞いたときには一瞬、めまいがした。命を救っていただいたので、それはもういくらであっても感謝の気持ち以外にないのであるが、なんせ自転車操業を続けるフリーター夫婦にとっては、払いきれないくらいの金額だったのだ。ローンにしてもらおうか、と真剣に考えたが、親戚の叔母から、それは高額医療費補助として区が殆ど払ってくれるわよ、ということを聞き、洗いざらいのお金をかき集めて、なんとか一括で支払った。銀行で振込を済ませた時、貯金の残高が23000円だった。次の給料が入るまでの約3週間、一日1000円で暮らせばなんとかなるが、絵に描いたようなギリチョン会計だ。ふらふらしながら銀行を出ると、そこには「年末ジャンボ宝くじ」ののぼりが立っていた。僕は一応、数学を教えているので、確率やその期待値のことはわかる。だから、決して宝くじの類いは買わないのだったが、このときばかりは気持ちがぐらついてついつい売り場の受付を見てしまった。受付の女性は目が合った獲物は逃すまじとばかりに、たたみかけて売り込んでくる。その勢いに抗えるだけの気持ちの余裕はなく、人生初の宝くじを1000円買ってしまった。一日あたり1000円で生活することを余儀なくされたそのときである。1000円と言えども、「清水さんの舞台から飛び降りる気持ち」での購入だった。買った後で後悔の念に苛まれたが、数日後、買ったくじの番号をネットで照会したら、なんと10000円当っていた!これは神の思し召しか。貯金残高23000円から32000円に増えてしまった。一日平均約1500円で暮らせるようになったのだ!宝くじありがたや。しかし、ここで二匹目のドジョウをねらっても無駄に終わることはわかっている。勝ち逃げで申し訳ないが、ここで僕の宝くじ履歴は終了させてもらうことにした。なにせ、競馬などと違って、宝くじは何回買っても経験値が上がることも、当る確率が増えることもないのだ。という訳で、僕の宝くじの生涯戦績は、1勝0敗の賞金獲得率10倍である。なかなかすごいと思う。

 退院の準備といってもうちには、ありがたいことにアデラとおかあさんのために、座ったまま利用できる昇降機が既に階段の脇に取り付けてある。風呂やトイレにも足に障害があるアデラのために手すりがつけてあった。車いすや杖は病院からレンタルできるし、里香の生活に新たに必要なものは特になかった。長く主が不在だったところに中心人物の本人が帰ってくるという気持ちの変化があるくらいか。しかし、待ちに待った退院だが、いざ、本当に帰ってくるとなると、なんだかうちが騒々しくなるようで、おかあさんと僕とナオだけの静かだった生活が一変して掻き乱される気もする。せっかく邪気が落ちてきれいな心になった里香が、病院を出てうちに帰ったとたん、元の細かいことをガミガミいう面倒くさい存在に戻ってしまった、なんてことにならないで欲しいものである。退院は、またICUを出るときと同じで午後の遅い時間になってしまい、その日、僕は塾で授業前に用事があり、同席できないことになった。午前の時間に先生方や看護師さんら、お世話になった方々にお礼を言って、後はおかあさんに任せることになった。まあ、改まった儀式みたいなものは苦手で、変なことを言ってしまうかもしれないから、ここはおかあさんにお任せした方がよいのかもしれない。そして、あうだこうだと言っている間もなく、退院の日は来てしまった。予定通り、お世話になった方々にお礼を言って回ったが、病院は常に稼働しているので、みなさん笑顔で対応してくださったが、長話をする訳にもいかない。心からの気持ちは伝えつつも淡々と事は運んでいった。里香もいつもと変わらず、入院生活最後のリハビリセンターでのトレーニング後も普通に笑顔で
「おせわになりました」
と挨拶しただけだった。まあ、通院しながらまた会いにくるので、お別れというものでもない。リハビリの先生からうちでやる日々の練習メニューと自宅生活での注意事項などを聞いて
「またらいしゅうきま〜す」
といって手を振りながら毎日通ったセンターを後にした。

 夜、校長の西川さんの好意で早めに上がらせてもらって、うちに戻ったら、里香がリビングの中心にデ〜ンと座って、テレビをガンガンつけて君臨していた。テレビとエアコンと照明のリモコンを全部自分のそばに置いており、自分の思う通りにすべてを操作しているのがわかる。
「おっかえり〜〜〜〜!」
と里香の方が先に言った。うれしそうな大きな声だった。
「ああ、君こそおかえり。退院おめでとう」
「いえ〜〜〜〜い!」
おかあさんはキッチンで夕食を作ってくださっていた。ナオは早速、里香の膝の上にいてゴロニャンしていた。つまり、いきなり、いつもの我が家だった。長い道のりだったので、いろいろ感慨があるか、と思っていたがそんな感傷も吹き飛ばすかのようなバ〜〜〜ンとしたこの存在感は流石としかいいようがない。おかあさんがキッチンから来て
「純ちゃん、お疲れさま。夕食はもうすぐできますから、先にお風呂に入ってらっしゃい」
とおっしゃった。
「ああ、ありがとうございます。すみません」
なんだか、家庭生活が急なペースで進行していて、僕だけ置いていかれた感がしたが、でもこれはいいことだった。だってこれをこそ待ち望んでいたのだ。なのに幾ばくかの違和感を禁じ得ないのは、単に塾に行っててタイミングが遅れただけじゃなく、女性群の生活力に比べ、男の僕が観念的に過ぎていて、そのずれがあるのかもしれない(ナオは雄だが猫だから観念的じゃないし)。風呂に入り、湯船に浸かりながら家庭内で進行中のリズムに乗り遅れないように自分をもう少しアップテンポ気味にあおった方がよさそうだと思った。

 風呂から上がって、三人で食事しながら語り合ったら、いろいろ情報が入った。いよいよ退院というとき、いつもの三人の看護師さんが見送りに来てくれたそうだが、一番一緒になって笑っていた桜井さんは実にクールな対応で、一番クールに見えた谷さんがハラハラと涙を流していたという。そして、僕は遅れて家に戻ったので、いきなり普通の生活が怒濤のように始まったかのように見えたが、やはりそうではなかったようだ。帰りのタクシーの中で、意識が戻る前の僕とおかあさんの話を聞いて、里香も随分泣いたようだ。またうちの玄関に入ったときも涙がこぼれて仕方なかったという。そこにナオが外から飛んで帰って来て、足下にまとわりついたので抱き上げたら、たまらなくなって声を上げて泣いたそうだ。そこから3時間ほど経って、いつものペースになった頃に僕が帰って来たらしい。そして話はもうすぐ海外に住んでいるお兄ちゃんから電話が入るということで、お兄ちゃんの話題になった。長い入院生活の間、いつも心配して、何かと気にかけてくれたお兄ちゃん夫妻であった。おかあさんと里香が言うには、僕はお兄ちゃんに感謝しなければいけないという。そんなこと改めて言うまでもないが、二人が言っているのは、僕が結婚を許された一因はお兄ちゃんにあるというのだ。おとうさんから将来の目標を問われて「バカボンのパパ」と答えた僕が切り捨てられなかったのは、元々お兄ちゃんが掲げていた将来なりたいという憧れがもっとすごかったからだという。僕もバカボンのパパやら鉄腕アトムだのと現実離れしているが、お兄ちゃんの場合、現実にいるものではあるのだが、それはちょっと、いくらなんでも・・・という感じだ。なんとお兄ちゃんの昔からの憧れの存在とは、「フジツボ」である。フジツボになりたいというのだ。こんな人も珍しいだろう。実はこの話は僕も以前から聞いていて、一度ご本人に質問してみたことがある。お兄ちゃんが言うには
「いやあ、純ちゃん。フジツボはいいよ。岩なんかにくっついてジ〜ッとしててさあ。ときどきプランクトンやなんかのエサが来たらひょこっと触手を出してそれを食べてさあ。憧れるよなあ」
ということだそうだ。実にうれしそうな表情で言われるので、「そうかあ」と納得しそうになるが、考えてみればそれのどこがいいのか、普通の人にはわからないだろう。まず、動き回る自由を捨てているし、見た目もカッコよく思えないし、偉大な感じもまったくしない。お兄ちゃんにとってはそれらはどうでもいいことなんだろう。アグレッシブな生き方なんてまるっきり興味がない、と言わんばかりである。やはり、そこはお兄ちゃん独特の価値観の産物としか言いようがない。そして、きっと「バカボンのパパ」になりたい、と僕がいったとき、おとうさんとおかあさんは「またか。どうしてうちはこういうのが集まってくるのか・・」と思ったに違いない。そしてその嘆き自体が一種の諦めというか、僕が娘の夫として、家族の一員になることを結果として認めたような格好になっていたのだ。三人でそのことを思い出して笑っていたら、ほどなく、お兄ちゃんから電話がかかって来た。
「何はともあれ、退院おめでとう。純ちゃんも大変だったね。お疲れさまでした。これからも大事にしてやってね」
「はい。ありがとうございます。お守りやたくさんメールいただいて、里香も僕も励ましていただきました。アデラによろしくお伝えください」
「ああ、今、アデラに代わるよ」
「ハ〜イ。ジュンちゃん。よかったですね」
「アデラ、ありがとう。本当に感謝してます」
そこに歩みの遅い里香がようやくやってきて電話を代わった。二人は英語で流暢に話し合って僕には半分くらいしか内容がわからなかったが、お互いの気持ちを通じ合っているのはよくわかった。最後におかあさんが出てしばらく二人と話し合っていたが、やはり離れていても家族というのは、ありがたいものだなあ、と改めて思った。

 久しぶりの家族そろってのひとときを過ごした後、早めに寝ることにした。昇降機で2階に上がる里香を階段で追い越して、手を引いて寝室に入ったら、どちらからともなく、抱きしめ合った。
「おかえり、里香。よく帰って来てくれた」
「ただいま、じゅん。かえってきました。ありがとう」
涙がお互いの肩に落ちた。
「ルンペン臭くないか?」
「だいじょうぶ。さっきおふろはいったでしょ」
ベッドまで手を引いて連れていき、二人で並んで手をつないで寝た。明かりを消した暗い部屋で、我が家の天井を見つめながら、いろんなことを思い出した。初めて倒れた里香が運ばれていくのを見たとき、ICUで初めて冷たい体を見たとき、意識が戻ったあの日、二人で車いすで初めて外に出て月を見た夜、元気になっていき婦人科でくり広げられたいろんな笑い話、おかあさんと助け合ってここまできたこと、そして里香の居ないこの部屋で毎日祈ったこと。涙を布団の端で拭いて、暗闇に慣れた目で里香を見ると、すでに寝息を立てていた。額にキスしたが、寝息はまったく変わらず反応ゼロ。しかし、よく寝る奴だなあ。
 
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